明けたぜーー!

修羅場抜けやしたっ!!って事で、軽い調子で死の縁を彷徨いつ、あちきってば月末〜月初めに単純量でいえば1000枚ばかり原稿を書いていたわけなのですが、何もかもが終わった瞬間まずやった事はバコの梱包を開くことだからね☆
うん、臭ぇ!!
でも、こいつがおいらの自由のにほいvv(フガフガ)
あと、ナニゲに猟奇の6話、7話見れてないし、ほっとなモーニングもHDDに入ったままやし、もじゃも見たいし、今週のスマスマも見れてねぇし…(ぶるぶるぶる)
もち、東京の書店クサナギ祭り会場で購入してきた雑誌も一切目を通せてないでやんす!

世間の状況がどうなってるかも分かってないでやんす!

そもそも、この状態で今更、舞台感想やら、映画の初日挨拶感想やら、どう書けば良いか分からないのでやんすが、まぁ、書きたいので書こう…(のほのほ)

週末は、隠し砦、アフタースクール、マジックアワーを観にいくつもり。
あと、HDD消化も使命だし、色々書きたいし、雑誌も読みたいし、バイクのメンテも必要だし、ほんっとーに時間が欲しい。
自業自得で自分で自分の時間を食い潰してて、いそがしー!と喚いている最中、私滅多に占い信じないんですけど、そこそこ当たると評判の「ほへと占い」にて、きっぱり、すっぱり「時間の使い方が下手です」と告げられて、思わず「へへー」と伏してみたり。

うん おれ 時間の使い方が 下手だ!

無駄が多いんだよなー! 執筆中に、いつもは興味ないクイズ番組とかレッドカーペットに見入ってしまったり、臍のごま取りに集中してみたり、爪のやすり掛けに大熱中したり…こう切羽詰ってるとき程、「のりしろ」な行為が楽しいのは人間のサガなのでしょうか?

そんな訳で、本気でウラシマ状態で、ツヨシ関連も粟根さん関連もぼよぼよしとる状態です。
あ、でも、いぞさんDVD発売はしこたま嬉しい。
なんとゆうかいぞさんは、新感線を布教したいと言うよりも、お芝居を好きになって欲しいとか、そうゆう意味で誰かと一緒に見たいDVDで、男の人なんかも、きっと好きな世界だと思ってみたり。
アマジョンさんやら、楽天さんやらで、お安めに買えるっぽい??なので、えへへへ、ジャニさんも、とうとう牙城を崩しはったと高笑いしつつ、ツヨシ出ろ、新感線出ろとか再び呟いてみるのでした。(怨念)


ごえさんのオフィにも粟根さんブログ書いてなさってたのだねい。
おお、纏め読みしにいこう。
さぁ、どないなものを見せてくれるのか、今から楽しみでござるよ。



あと、瞼さんも、千秋楽まであと少しでごんすなぁ
感想にてみっちり語りたいのですが、主観と客観の混乱具合が凄まじく、芝居好きの私と、ツヨシ好きの私の視点が混在したカオスなものになりそう。

また、同時に文化論的な部分からも考えてしまっていて、あの芝居を「ハイカルチャー」として受け止めるべきか、「サブカルチャー」として消化すべきかといったような、まぁ、意味の分からない境地にいるのですが、その過程において、私は文化をカテゴライズする事を、生理的に嫌悪していたのだけれども、それは「文化」を「文化」として守る為に必要な事なのかもなーとかも考え出していて、それはどういう意味かと言うと、momiziさん、頭の中ひっちゃかめっちゃかなのね? うん!という話に尽きるんだろうなーと勝手に帰結。
いやいや、なんとなく、瞼の母は私にとって「総合芸術」としての芝居の形を考えさせる色合いを帯びていて、「ああ、ツヨシはげーじつに関ったのか?」とか思おうとしても飲み込めない私がいて、つまに、現在大変喉越しの悪い状態のまま、全部言語化し尽くして無理矢理飲み込んでやろうとも目論んでいます。

さて、以下はネタバレにもなってないけど、まだ、未見の人は気をつけたほうが良い記述。
でも、ネタバレ…?って位微かなので、一応オープンで。
自己判断でドゾー!


基本私は芝居が大好きです。
WSなんかも参加して、何か機会があれば積極的に芝居に関りたいと思うし、毎日だって観ていたい。 芝居の話は喋るのも聞くのも大好きです。 それ位好きだと表明した上で、あえて私は「たかだか芝居」という観客側での心境を持ちつづけてることだけ、大前提になっちまうかと思います。
然程、芝居を観劇する事で人生観が変わったとか、考えを改めたとか、それまでの自分を振り返ったとか、観終わったあとも考えさせられたとか、そういうのを一切求めてないんです。

有り体に言やぁ、エンタメ至上主義なんですよう。

1時間ないしは、2時間、3時間、下手すっと4時間。
まぁ、その位の時間の間チケット代で夢買わせてもらって、その一瞬の徒花のごとき輝きに夢中になって、観終わった後はスカンピン。
なぁんも、残ってねぇや、話の筋も忘れちまったい。
だけど、いやぁ、楽しかったなぁっつう芝居をこよなく愛しているのです。

心に残るものを…っつうのは、あんま、私ってば芝居に求めてないし、作り手側も志は高くあって欲しいけど観客の人生観や、その後の思想にまで影響を与えようなどとおこがましいことを考えて作って欲しいとは思ってないんです。
まぁ、だから啓蒙を拒んでるって事なんですけどね?


んで、瞼の母ですが、こーいつが、やっぱり難しい。
そういうエンタメ至上主義の女があの芝居を見て、どう感じたかっていう話になってくるかと思います。
物凄く「芸術」の側面を有した芝居だったように私は勝手に思ってるので。

あ、あと芝居に何を求めるかなんて、人それぞれ千差万別。
あっちにとっては芝居ってぇのはそんなだよってだけの話なんで、「私は○○って芝居に人生を変えられました」っつう感情を否定するつもりは全くございやせんので、私個人の個人的お芝居への感情を書いている事をご了承ください。

いや、勿論、演目が瞼の母っつう時点で、きちんとどういう類の芝居を見せて頂けるかの想定はあったし「え? 全然思ってたのと違う…」っつうのは、なかったのですが、逆に、だから私は「瞼の母」っつうのを見たという、そういう飲み下し方を出来てないんだろうなぁ。
ぐっと構えてたら、あんがいあっさり喉を滑り落ちていった、あの忠太郎と、お母っつぁんを、今懸命に自分の腹を撫でさすって、「おい、あんたら、ほんとに今、そこにいてくれてんのかい?」って尋ねているとこなんだと思う。

ただ、時々思い出すのは、あの舞台から時々観客に向かって吹き込んでくる寂寥の風の匂いで、あの風は忠太郎が抱えつづけていた、孤独の塊の息吹のようなものなのだろうか。

やい。
やい、忠太郎、やい。
おまい、今も、あの舞台にいるのかい。
おまい、今も、寂しいのかい。
おまい、きっとずっと寂しいのだろうねい。

寂しいからこその忠太郎…か。

ぬくとい場所を知らぬような、あの寂寞感。

その尻尾を、私の中でくるくると駆け巡ってるあの男の尻尾を、言葉の指先でなんとか掠められたらと思っています。

んで、まぁ、それとは別に此処で言いたいのはおれもほっかむらーということだけでしょうか?(ほっかむらーとは、ツヨシのほっかむり姿をこよなく愛する人々の総称。 私発信、受信も私のみ)
いや、初めて見たときは足の指先の血が頭のてっぺんにずどんって流れてきたような逆流感覚を味わったよ。

あの造形美。
ツイッと、真っ直ぐに咲く花の如き立ち姿。
桔梗の花のようだと思ったのは、私がツヨシヲタだからで、今でも私は「桔梗の花の君」として心にほっかむり姿を抱いておるのでございます。

ああ、美しかった。
手折りたいほどに美しかった。


あ、山のあなたも、やはり美しい映画でした。
こいつも舞台挨拶とあわせて感想を…書けたら…いいのになぁ、流れ星さん☆
うっかり、もう、そういうお願い事レベルなのですが、まぁ、あのちゃんと書くと思います。
芝居巧者としてのツヨシの側面がクローズアップされてる印象がありまして、しみじみと、こいつぁツヨシの役だと思ってしまいました。
今、徳さんを出来るのは世界中でただ一人。
クサナギツヨシだけでしょう。

そういう役はいいねぇ。
必要性があって、需要に応えて供給される。
それをスクリーンで眺める幸福は、満足感に直結していて、私を満たしてくれる映画だと感じました。

ま、今のトコはそんな感じで。

momizi、修羅場明け雑感でございます。



追記


職場のトイレにて、演モバの古田さんインタビウを読んで泣く。
ああ、疲れてっと涙脆くっていけねぇや
古田さんが劇団の話を、それも、あの皮肉気なイントネーションで(幻聴です)、それでも「自分を含めたバカな奴ら」として話をしていると無闇矢鱈に胸が打たれる

30周年記念?
全然余裕だね
「ええー?」って、何度も言わされんだろうけど、着いてっちゃうね

ラヴ。
畜生、やっぱ私、新感線が好きでいやがる