昨日の追記

妻はどうしているのだろう?

いきなり、昨日の日記(という名の週記)を書いた後、気になってしまいました。

ぼくの歩く道の感想への追記なのですが、私、あんまりにも橋部先生の物語が静謐なので、忘れてしまっていたのだけども、妻ですよ、妻。

都古は、河原先生の奥さんから、河原先生を奪ったわけで、ちゃんとその事に気付いてなかった私にびっくりしています。

ああ、そうだ、不倫だったのだって今更だけど思う。

奥さんは、河原さんの事を愛していたのだろうか?
いきなりいなくなって、別の人と結婚して、悲しまなかったのだろうか?
都古は、それでも、河原さんと家族になりたかったのだろうか?

都古は、だから、ただ、優しい人じゃないのだって思うのですよ。
「優しい」からテルの傍にいるんじゃないのだなぁってちゃんと分かった。
だって、その行為は、やっぱり「非道」だ。

自分勝手で寂しがりやの、普通の女の子で、だから、テルと一緒にいるのは、人間的に個人として「テル」が好きなのだからだと理解し、同時にその事に安心してる私もいるのです。

こういう物語で、障害者の幼馴染の女の子とかって大概天使のようなキャラクターになりがちだけども、都古が人間の女であり続ける所も、橋部さんが書きたい部分なのかなぁと思う。
テルを、河原さんと2人で共謀して返してしまう所も、何だか妙に生々しかった。
人間の女だからこそ、「結婚する」とまるで駄々をこねる子供のような、全部開けっ放しにしてしまった顔で、都古は河原さんに言えたんだろうなぁ。

何処かで誰かを傷つけたり、酷く壊したりしても、都古は家族がほしかったんだなぁ。
テルは、結婚の事をどう思うのだろう。

テルは、それでも都古ちゃんに恋をし続けるのだろうか?
他人の妻を愛してはいけないというルールのようなものとは、やはり無縁な存在でいるのだろうか?

よく、恋愛経験豊富な人を、愛の達人等と呼んで、恋愛相談を持ちかけたり、やたら褒めやそしたりするのを見ていて感じていた違和感があるのですが、色んな人を豊富に愛したり、色んな人に愛されたりするよりも、一人の人間をずっと、ずっと、長い間、もしくはこれ以上ないって位愛しぬいた人の方が、私は達人だなって思っていて、だから剛は今愛の達人を演じているんだなぁって思います。

達人は、相談に乗れなくてもいいのです。
誰にアドバイスできなくてもいいのです。

いつでも他人に何かを言ってやれる余裕がない位、一人の人を愛している人を達人と呼ぶのです。

愛している人が雨に打たれて泣いていたならば傘を差してやり、代わりにその人の分まで笑って上げられる人を達人と呼ぶのです。

テルの何よりもの才能は、それなのかもしれないとか勝手に思って、シアワセを感じています。

おお、私も達人になりたい!