呼び名が「女の人」から「あなた」に昇格!

今日も、ミーハーあるという欲望と、言葉を学びたい欲望と、単純に他人様がオロオロする様を笑いたい欲望の狭間で揺れ動いてきましたよこんばんわっと!

昨日ほどの吸い尽くされるような疲労感はなく、昨日は私の好きな役者さんの眼が、皆怖いという事にについてしみじみさせられたのだけど、そういや私の好きな役者さんはみんな指も綺麗だなぁとか、イッセーさんの、その服の裾からわきわき、ひらひらと蠢いていた指先に魅入られてしまって、私は、やっぱり私なのだなぁと思い知らされました。
あああ、もー、やだ!
他の皆様が真摯に、大変真摯に取り組まれている最中、私は何を考えているのだろう!
何を見てるっていうんだろう!

ワークショップ中に、講師の指が美しい事に心奪われるだなんて、商談をしながらも相手先の営業の女性の胸の大きさに見惚れてしまう助平オヤジと同じスタンスにあるじゃないか!

だけど、しょうがないじゃないの!
美しいんだもの!

仕草の一つ一つに惹きつけられて、惚れっぽい私は、「ああ、また恋をしてるなぁ」と確信してしまう。

もうね、「時の男」を見た後は粟根まことに、「父帰る/屋上の狂人」を見たあとは草なぎ剛に、「CRB」では本気で梶原善に恋に落ちていた私だもの。
好きにならない筈がない!!
ドキドキする。
心臓が高鳴る。

そんで、やっぱり怖い。
怖さが募る。
森田さんは凄い演出家だ。
怖くないのだろうか?
ああ、そうか。
あの人自身が怖い世界の住人だから、同じ国の人だから、イッセーさんが怖くないのか。
分からん。
何がこんなに怖いのだ。
立場に押されてないか。
私は、肩書きや、立場や、地位に大変弱いし、すぐにその前にひれ伏し、卑屈になり、簡単に媚びる人間だから、同じように、立場に押されてやしまいか。
いやしてない、それはしてない、そういうのは、すぐに冷める、だが、冷静になってもやっぱり怖い。

あの眼が怖い。
不自由になるのだ。
精神が、有様が、脳みそが。

森田さんは、ここらへんの住民は健全であるという事の話を今日はされていて、昨日、私が私の平凡さをむざむざと思い知らされていたまさに、その事を見抜いたかのように「君達は普通すぎる」という事を仰いました。
言葉が綺麗だ、悪意がない、よそゆきで喋る、退屈だという言葉を聞きながら、「よく見せようとして」素人がやってしまう小賢しさを剥ぎ取ることに終始していたならば、そこから、今日は「奮起」させようとしているのだろうか?と感じていたり。

「君達、悪口なんて言うのかい? わけもなくカンに触る人間はいるかい? やってみなよ。 いるんならね」

それは勝負を挑むような口調で、私は勿論「そんな人はいません」と首を振って逃げたのですが、試行錯誤という言葉が相応しい、私達参加者の扉を開こうとするその言葉達、姿、努力に、「ああ、私達って難しい子達なのかしら?」とも思ってみたり。

演劇的でなく、面白いものを引き出そうとして躍起になってるようにも見えた。
演出って難しいんだなぁと、昨日は役者の困難さを思い知った上で、演出する人間の苦労も知る。

おお、こういう見方はいかんのだけども、個人のブログなので書いてしまえば、多分ね同じ発破の掛け方を他の地方都市でもやっている気がした。

平凡である事を指摘されるとやはり人は、「むっ」とするのだ。

突出したい思いがあってこその健全だなぁと思う。
私は、人間の欲望の中で一番「自己顕示欲」に興味を持ち続けてきた人だし、その自己顕示欲にとてつもなく悩まされてもきたから、その自分の朗らかさにも気付けてよかった。

意図を読み取ろうとしてしまうのは、私の癖なので仕様がないのだが、随分と乱暴に、ぶっきらぼうにやってるように見えて、本当にぶっきらぼうに自由気ままにしかやってないのに、ちゃんと一生懸命で、しかも「周到」にすら見えているというのが凄いなぁと思いました。

指導って難しいものですから、その「指導」というスタンスにどう言い訳してもいなきゃいけない、その重労働を、森田さんは飄々とこなしていらっしゃって、そのやり方が、昨日感じたのと同じく体育教師的というか、山のキャンプに言った時に焚き火の仕方を教えてくれる若い兄ちゃんっぽいというか、その妙な投げやりさに、全部自ら飛び込んで経験してきた風のアウトドアっぽさを感じてしまったり。

とにかくもみくちゃにされるような心地は今日も続いていて、えーとね、おおお、「困ってる人」を演じるのはイッセーさんの専売特許だというのに、私自身が大層気まずく困り果ててしまった。

何だったけ?
そうだ、「貴方のお母さんが、貴方のお父さんを叱ってるところをやっておくんなまし」とゆわれたのだった。
んで、私は、演じるなんて一切出来ないので、思い出すがままに口を動かし続けてそんで、ちょっと気まずい事を言うてしまった。
それを気まずいと思うのが、なんか、ヤダなんだけど、演出の森田さんは足が不自由で、片足を切断されていて、で、私はそんな事なんてすっかり忘れていて、お母さんの真似をしている台詞の中で、「糖尿病になった親戚の叔父さん、足切ってしもたやろ? 怖いに? 知らんにぃ?」というような事を言ったのだ。
で、その少し後くらいで「はい、そこまででいいよ」と切られて、それから、三秒後に「あっ!」ってなった。
「あっ!」てなった自分が嫌になったけど、でも、やっぱり「あっ!」というような気分は続いて、「しまったなぁ、変な事言っちゃったなぁ」ってぐるぐるして、しょうがなかった。

で、もう、変な事は言わないようにしようって気をつけていて、で、座ってのそういう色んなやりとりの後、イッセーさんが、また、たらりらり〜〜ん♪と皆の真ん中にやってきて、自然という事についての話をされた。

貴方達は今必死に自然であろうとしてるというような話で、やっぱり意識して自然体であろうとするその不自然さを、どうしてだろう、どこか愛おしむような口調で話されていた。
私はそれを聞いて、「あ、絶対、イッセーさんはサドだ」と他所事を考えた。
だって、その事でみんな一切合財困り果てているのに、その困惑を、こんなに嬉しげに話すなんて!というような気持ちになったのですが、それを見抜かれたのか、油断を見抜かれたのか、「じゃ、貴方、さっきやったお父さんを叱るお母さんやって」と言われてしまった。

ぎゃあ!

何に引っかかるんだ、イッセー尾形!!

私の前に当てられて繰り返し演じさせられた人も、じんわり噛み締めると面白いようなことをやっていて、私のは、面白いというよりも、私が「困った」のを見抜いたが上で、もう一度やらせているように見えて、またしても「サドだ! この人サドだ!」と涙目になりつつ母親の物まねをさせてもらいました。
言わなきゃいいのに、また「足切る」っていうくだりをやっちゃって、でも、なんか、二回やらせてもらった事、その上でちょっと褒めていただいたことで「それが、アリ」になっちゃって、ああ、この人、もしかしてここまで見抜いてこれやらせてんのかな?とか私の精神負担をなくしてくれたのかな?とかまで深読みしちゃってるうちに、イッセーさんはまた、たりらりらん♪と歩いていってしまわれて、此処まで書いて分かるように、この時点で私は完全に虜になっていたのです。

おお、サドの癖に、サドの虜になってどうする!
馬鹿!
翻弄されて喜ぶだなんて、私の風上にも置けない、恥を知れ!

で、またしても、最後、歩き訓練(と勝手に私が呼ぶ、歩き方と、お喋りの訓練)最中に「じゃ、さっきのお母さんやって」といわれ、ひい、この人やっぱり、私の事云々よりも、他人が困ってるのを見るのが大好きなだけなんだ!と思い知らされつついっぱいっぱいになって、母の物まねをし、列の最後に立っていたが故に何度もいったりきたりさせられて、おおお、と打ちのめされて本日終了。

森田さんは、その間、にやにやと笑っていなさって、そうやって笑いながらみんなを見守っていらっさって、ああ、サド2人!とか思い知らされたのでした。

でも、色々あったのに、今日一番いいなぁと思ったのは、イッセーさんが色々お喋りなさった後、森田さんの方を向いて「僕の言ってる事分かります?」とお尋ねになって、そうしたら「そりゃ、俺ぁ分かるよ」ってお答えになって、あははって二人で笑いあってるところかなぁ。

日常が素敵と初めて思えましたよ。

普段新感線大好き、過剰大好き、エンタメ大好き、無駄が好き!!な、ド派手常套女なのですが、平田オリザさんのとはまた別の意味で、対極を行く人々が作ろうとする空間の中で、私はまた、明日も、困り果ててこようと思います!