灰谷先生のこと

ストッキングを履き替えていました。

朝、見たら伝線していたので、新しいものに、履き替えていました。

今日は夕方から雨が降ると天気予報で言っていたので、母親に車で職場におくってもらっていて、だから気付きました。
履き替えた後一息ついて、ふと見上げたビルの電光掲示板。


灰谷健次郎先生がお亡くなりになりました。


72歳でした。

私は一瞬真っ白になって、それから、涙がつるつるっと落ちて、「あ、マスカラが落ちてしまう」と他所事を考えました。

テルは、今、草なぎ剛が演じている自閉症のテルは「死ぬ」という事がよく分かっていなくって、お父さんが死んでしまったことを「遠くへ行ってしまった」事と考えていて、だから「お父さん、いつ帰ってくるのかな?」と無邪気な声で呟いていました。

私も、ぼんやりと、「灰谷先生はいつ帰ってくるのかな?」と思い、それから、テルでない私は「もう、会えないんだなぁ」とちゃんと納得しました。

「ほんとは断るつもりだったんだけどね、貴方に素敵な手紙貰ったから」

そう仰ってくださって、灰谷先生が三重県の文芸部所属の高校生達に講演会をしてくれた時、私は、その隣にぴったりついて歩いていて、ああ、この手が「兎の眼」や「太陽の子」を書いた手なんだなぁと、その真っ黒に日焼けした手を見ていました。
私に、手紙を書きなさいといったのは、文芸部の顧問の先生で、「だめもとで、破れかぶれで、一か八かで」なんて散々言われたのだけれども、何となく、手紙を書きながら、私は先生、三重に来てくださるんじゃないだろうか?って考えてました。

高校生の私は、それでも子供の私で、先生は、ほんとに子供の真剣な頼みに弱い、弱い人だったから。


ワークショップの参加者の中には小さな女の子達もいます。

毎日、とても遅くまでやってるのに、ちゃんと来ていて、退屈はしているけど、こしょこしょとお友達同士で喋ったり、構ってくれそうな大人に纏わり付いたりしています(私は、今、完全にターゲットになっています。 今日はその長い髪の毛で、掌をこしょこしょと擽られました)

森田さんも、イッセーさんも、子供を眺める目は、本当に優しい。

偽善めいているけれども、子供に優しい大人が好きです。

イッセーさんは、しゃがんで、子供の目線になって、笑いながら、それでも何一つ侮らずに、きちんと子供のすることを眺めていました。


灰谷先生は、子供に凄く優しい大人でした。
灰谷先生のその姿勢をとやかく言う人がいたけれども、私は、灰谷先生みたいな人が今の子供には絶対必要だと思っていて、ああいう大人に救われる子供はたっくさんいると思っていて、私も救われて、あの時、あの会った時、先生が優しい声で「貴方は文章が巧いね」って何度も何度も何度も言ってくださったこと、忘れなくて、忘れられなくて、私は、また、褒めてほしかったんです。

褒めて欲しかったんですよ、灰谷先生。

私は、灰谷先生にまた、「上手だねぇ」って言って欲しかった。

死ぬという事は、ただ、遠くに行くというだけではない事を知っているから、私は知っているから、間に合わなかったと項垂れるしかない。

私は、間に合わない。
どうして、まだ、こんなに未熟なんだろう。
どうして、私は、小説を灰谷先生に読んでもらえなかったのだろう。
どうして、私の歩みはこんなに遅いのだろう。

みんないなくなってしまう。
会いたい人も、もう一度会うと決めていた人も、いなくなってしまう。
書かなきゃいけない。
焦らなきゃいけない。
急がなきゃ行けない。
早く死んでもいいから、早く、早く、早く。

でも、イッセー尾形は言うのだ。


「ゆっくり歩いて」と。

「皆さんに、知ってもらいたいのは、役者は舞台に一度上がったら中々降りられないという事です。 恥ずかしくても、苦しくても舞台からは降りられません。 それを知って欲しいから『ゆっくり歩いてください』」


でも、イッセーさん、私、ゆっくり歩いてたら間に合わないんだ。
会いたい人に会い損ねてしまうんだ。
私は、本当に足が遅いんだ。
いつまで経っても何処にも辿り着けないんだ。



もうじき、24になってしまうんだ。



貴方だって、待っていてはくれないのだろう?



今日、そうやって、灰谷先生の死を知ってから、呆然と会場に辿り着いて、私は、席に腰掛けて、ワークショップが始まって、それでも、呆然としていて、したらイッセーさんがたりらりらん♪としたリズムでまた、客席に現れて、腰掛けて、その姿を目の端にいれて、それで、それで、また、泣きそうになった。

そういう事ってありますよね。

そういう、切っ掛けで、泣きそうになるという事。

そこで泣くわけにはいかないので、ぐっと我慢して、そして、ちゃんとワークショップに集中した。
森田さんは、いつもと変わらない調子で、きっと色々苦悩しながらも、全然苦悩してない感じに、にやにやとして、気ままにグルグル動いて、私達を苦しめたり、困らせたりしていた。
それは、やっぱり先生みたいで、私は小さな子供になったみたいな気持ちになっていて、また、灰谷先生のことを思って、泣きそうになって、我慢して、混乱が酷くて、そうして、40人近い、たくさんの種類の人たちと一緒にいながら、その時とてつもなく孤独になった。
凄い寂しかった。
凄い寂しくなったんだよ。

私の歩みが遅いという事、私が平凡な人間であるという事実、灰谷先生の死、そして、ちゃんと実感としての孤独。

イッセーさんは、一人芝居をなさる方だ。

孤独だろうか?
一人の舞台は、孤独だろうか。

頼るものはいないのだろう。

誰も、側にいないのだろう。

それでも、一人じゃないのだろうか?
スタッフが、森田さんが、自分を支えてきた人の存在が、舞台の上でも、何処かに寄り添っているのだろうか?


私は、私の小説の中で「人は一人でいるよりも、誰かと共にある時に感じる孤独の方が、本当に寂しい」という事を書いたのだけど、今回心底実感した。

あぁぁ、寂しかった。
ほんっとうに寂しかったぁー!

寒いほどに孤独だった。

あの時、私は私だけの世界にいてしまった。



私は、間に合いませんでした。


だけど、森田さんが、その小さな子供の参加者2人に、初日に聞いたのです。
「人は死んだら、どうなると思う?」と。
子供は答えました。
「天国へ行く」と。

そういうものがあるかないか、とかさぁ、なんか、どうでもよくて、子供が言うのだから、子供をあれだけ愛した灰谷先生だもの、きっと、泡盛とか、日本酒とか、お酒がしこたまあるような、そしてポカポカと暖かいそういう何となく、心地よいところへいったんじゃないだろうか?って私は考えます。

「僕はお酒飲むからねぇ、普段は、こういう野菜ジュースとかで健康に気遣ってんの。 埋め合わせにね」

そう言いながら、野菜生活を啜っていた横顔を思い出して、なんだか、ほんとに、酒飲みってやつぁなんて、らものおっちゃんが亡くなった時と同様の、少しだけ朗らかな気持ちになりつつ、灰谷先生のご冥福をお祈りしたいと思います。

私は、それでも、やっぱり、ちゃんと恋をしていて、イッセーさんがある女性の参加者に「笑って、笑って! ああ、いい笑顔だ!」と言いながらご自分でも笑っておられる姿や、別の参加者に「僕を見て! ちゃんと、見て下さい」と言っている顔、外国人の参加者の方に「ノン! ノン、ノン、ノン!」とリズム良く首を振った後、駄目出しをする姿、そして、私に「はい、あなた、じゃあそこで、また、昨日のやってよ。 あの、お父さんを叱るお母さんのやつ!」と言ってきた声に、キュンキュンと痺れていて、森田さんと、イッセーさんが参加者のやることなすことを全て否定してその上で「さぁ、もっとやれ、それでもやれ、やれる事は全部やれ!」とうれしそぉぉぉに追い詰めていく姿に、「サドっていうか、サドっていうか……もしかすっと、虐めっ子?」とすら思いつつ、ああ、急がねばならないのに、こういう事をしているのが楽しすぎる!と歯噛みするのでした。

灰谷先生、私はやっぱり、駄目な大人になってしまったようです。
寄り道が多すぎる。
されど、この寄り道が凄く大事だって事も、ちゃんと分かってしまっている。

もう、誰も取りこぼしたくないのになぁ。
時間が過ぎていく。

怖い。