イッセー尾形と、森田さんと、おしまい

しゅーーりょーーーーーーー!

はい、はい、はい、お疲れっした!!

もー、ひーひー言いながらのこの一週間、皆さんはいかがお過ごしでしたでしょうか?

私は、本日ワークショップ最終日、イッセー尾形のつくりかたにて終止符を打ち、みっごと、サインも貰いそこね(流石、私!!)こういう失恋の仕方もあるのかと、茫然自失しながらも、ワークショップでの芝居が、本当に、本当に素晴らしいものになっていて、一日でこの変化は何?!と、眼を見張りながら、人間の底力と、演劇の素晴らしさに感動の嵐が吹き荒れました。

素晴らしかったんです。
昨日のは何?!って位、客との相互理解が出来ていた。
凄まじく良かった。
私はウキウキしながら、一度も眼を逸らさず舞台を眺めていて、自分の事はすっかり忘れていた。
忘れていてよかった。

芝居を見たよ。
今日は、優しい芝居を見れた。
芝居のうちの一つに、売られていくベトナムの女の子の話があって、ロシアに強制送還される女の人は泣きながら「私の事はどうでも良いから、この子を何とかしてやってください」と言っていて、NPOの2人の職員はなんともしてらやれないから目を逸らして別の話をしていて、そんな中女の子が「日本は、本当に繁栄しているんですか?」とても困難な質問を投げかけてきて、そんな女の子の為に「なぁぁぁんにも」出来ない無力な大人三人は最後、手品を見せてあげるんです。
手品っても、出来ないから、出てる人たちはどなたも手品出来ないから、それでも必死に滑稽におどけて、それを見てね、女の子が「ありがとう」って言うんです。
笑って、大きな声で。
その笑顔の可愛い事!!!

会場中が救われるのが分かった。


私、この話大好き。

DVDにして無料配布してくださるそうだから、私はこの芝居何度も何度も見るだろう。

良い話だなぁと思って、その他の方々も皆さん素敵で、演出の森田さんの奥様で、「ら」の社長の方も仰ってたけど「客にウけなかったら、ダメなんです」ってほんと賛成。

今日のはね、大成功なの。
結構反応があったの。
それがまず、嬉しい。

よかったねぇ、よかったねぇ、皆さん。

あなた方は最高だ。
最高ですよ、忘れないで。

私?

私は、ええーと、やっぱ責任を放棄してしまってました。
全身を委ねたまま、弛緩の中で、漸く、台詞前だけ緊張して、あとは、ひゃーひゃー楽しんでた。
だって今日は委ね甲斐があったのです。

だから、何も考えずにいられた。

おかげさまで打ち上げにて、ようやく自己紹介(つまり今まではお互いにお互いの事なーーーんも知らないでやってたのです)をした際、皆さん結構カッコイイ経歴だったもので私も、自慢がてら「小説家の卵やってます」的な事をほざいたら、本気で、慄かれた。

どうやら、ワークショップ期間中、何も喋らず即効帰宅し、殆ど交流しないせいで素の喋りなんてせず、しかも台詞っぽい事を言わされるときは緊張の余り素っ頓狂になってた私は、眼を合わせてはいけない類の人だと思われたらしく、一気にそこで話し掛けてくれる人が増えた。

森田さんにサインを貰いがてらお話をお伺いにいったら、しみじみと「君はただの馬鹿だと思っていた」といわれ、「いや、当たってますよ」と本気で返答。

「文章を書く人はね、みんな、自家中毒に成って病気になっちゃうから可哀相だね。 あんたは気楽にやんなさい。 とにかく悩まない事」とアドバイスを頂いてみたり。
演劇のワークショップで書く事についてのアドバイスを頂くという不思議状態の中、「森田さんが、参加者の組み合わせに話を付けてってる最中、私も同じように話を考えたのですが、全然ダメでした」といったら「そりゃ、俺十年やってるもん」といわれてしまう「イッセーさんも10年位だし、そん位は掛かるよ」といわれ、思わず「じゃあ、十年、健康で元気でい続けてください」と心から祈る。

皆が死ななければ良いのに。
皆が健康で、元気で、シアワセで、ワークショップに参加できたり、企画したりできる位、元気で、元気で、どうか、元気で。

イッセーさんのお芝居の中である経緯があって、「十年?! …半年にならない?」という台詞がある。

私も思わず言ってしまった。

「十年ですか? 何とか半年になりませんか」

したら、森田さんはにやっと笑ってそれから首を振った。
なんともならんのですね。
ああ、道は遠い。

今回、会場としてお世話になった館長さんは、一応小さいながらも賞を取って、そういう風に小説で私が成果らしきものを出した事を、凄く喜んでくれて、「よかったねー、よかったねー」と言ってくれた。
私は、それよりもむしろ、トランペット片手に舞台脇で生演奏をしていた、館長の何処となくユーモラスな姿と、トランペットの似合い具合が笑えて、よかった。

イッセーさんは、今日の公演は昨日よりも、少し疲れていらしたように見えた。

演出の方法は、どうも、私達にやったのと殆ど同じ方法を取ってるように見られて、イッセーさんは「大まかな筋立て」や「必要なフレーズ」なんかは昨日の公演と同じだったけど、その間の台詞の組み立てや、仕草、ちょっとした一言や、順番なんかが違っていて、つまりそれは、定めてなくてその時のイッセーさんの言い易いものを、言い易い言い方でその場で決めているという事で、この制限のなさの中でイキイキとしている事の恐ろしさを改めて思う。

されど、うん、今日は少し、素に戻るというか役が抜ける瞬間が舞台上で見れて、そういえばやつれていらっしゃったと顔色を思い、自分たちが出来が悪いから憔悴させているのだろうか?という事まで不安になる。

どうぞ今夜は、深く、深く休んで、どうか、どうか健康で。
ずっと健康で、健やかに在って欲しい。


それにしても、面白いなぁと思ったのは、私は表現者としてイッセー尾形は随分我が儘な人間に違いないと思っていたのだけども、それよりもずっとずっと森田さんのが我が儘だったって事だろうか。

すんごい我が儘。
わが道を行きすぎ。
イッセーさんは、むしろ遠慮深い、凄いナイーブな佇まいでいらっしゃって、この2人の自由の違いが大変面白かった。
森田さんの傍若無人さと、イッセーさんの傍若無人さは違うのだ。
NHKのドキュメント番組で、難民の子供達を、一人芝居で散々笑わせて笑顔にさせて、その後裏で、泣いていなさった尾形さんの姿を思い出す。

色んな難しい人たちを、必死に心から、誠実に、偽善とか、おためごかしとか、綺麗ごととか通じない、何にもやらない人間がその活動を否定する事を絶対に許したくないような真摯さで救おうとしている「ら」の人々を思う。

随分と優しいのだと、感じた。

優しいのだ。
優しいんだ。

笑いって、冷たかったり、嘲笑ったり、陥れたりする事で生まれるものもあるし、私はそういうのもちゃんと大好きで、そういうのも「笑える」のならば、ありだとは思うのだけども、反対に、とても優しい場所で、優しい気持ちで生まれる笑いもあるのだと思う。

優しいものを、優しいだけ、思う存分追って行くという生き方も、素晴らしいなぁ。
私には無理だけども、その片鱗に触れられた事はとてもいい経験だった。



参加者の自己紹介を聞いていると、どうも東京やら色んな所へこのワークショップを追っかけてる方もいるみたいで、すげぇなぁと感嘆。
夢中になって、参加し続ける感じは、分からないでもなく、そしてまた、このワークショップで何かを埋めたい気持ちも凄く分かる。
いろんな方がいらしゃって、職業聞いてなる程と思う方もいて、ああ、寂しいなぁと思って、昨日「私を酒を飲む子」と認識したおじさんに「寂しいです〜!」と訴えたら肩を抱かれて「大丈夫、大丈夫」といわれた。

あったかい掌の温度に、少しほっとした。

それから色んな話をした。
山口瞳の話とか、音楽の話とか、名前の話。
「名前なんて、どーでもいいんだよ!」といわれて、笑う。
あと、やっぱり「小説を書くという事は独特の病気になりやすいから気をつけて」といわれて、私も思わず「いえ、貴方こそ健康に気をつけてください」と祈るように言う。
来年、お互いがお互いを「待って」会いましょうと約束して握手。

やっぱり大きくてあったかな手だった。


それから、私が灰谷さんとお会いした際に、その仲介役として凄くお世話になった書店にお勤めの女性の方がいらっしゃって、思わず灰谷先生の話をしてしまった。
「命がけで、子供を愛した人でしたからね」と言った女性の言葉に、思わず息詰る。


そうだ、命がけだった。
あの人は、命がけだった。


私は、どうだろう?

病気にならないようにと、心の病気にならないようにと再三言われて私は、本当に心身共に頑健だから、大丈夫だと言って笑いながら、ふと、思った。

病気になれる程に取り組んでないだけじゃなかろうか?と。
いや、しかし、健康な心を維持したまま、小説を書いている作家の方々だってたくさんいる。
違う。
思い違うな。
それは、「証」ではない。
病気になる事は、「そこまで取り組んでいる」という証にはならない。

そう思いながらも、しかし、「命がけ」という覚悟をちゃんと示せてきたかどうかを振り返り、猛省。

2人で話をしてると私は、本当にまた泣きそうに成って、女の人も凄く綺麗な顔を(本当に、超美人だったのです)歪めて、唇をヘの字にして向かい合ったまま、一瞬黙った。

「私は、灰谷先生の生徒のつもりです」

それだけやっと言うと、女の人は頷いて「私もそう思います」と答えてくれた。
その時、フリだけでも共有してもらえた事に物凄く救われた。
ありがとうございました。


それから、もう一人ずっと仲良くさせてもらってた女の子がいて、その子にも灰谷先生の話をしてしまった。
私が「待ってくれていた人をなくしてしまった」といったら、その子はいきなり泣き出して、「私が、待ってる」と言ってくれた。
「私が、いつまでも待ってる」と言いながら泣くその子の涙の綺麗さに、口をあける。
キラキラキラキラと頬を伝い落ちていく涙に、数歩後ずさりして、それから「ありがとう」と言っていた。
ベトナムの女の子役をやっていた、あの「ありがとう」に似た声音が出て、ああ、心底のお礼は子供の声になるのだと思った。
本当に、切実に感謝した。

待っている人を見つけた。

その時だけの言葉でよかった。
明日になったら忘れていてくれて構わない。

ありがとうございました。

これで書ける。
また、書ける。
だから、どうぞ元気で健やかに、どうぞ、どうぞと、祈る。


灰谷先生。
間に合わなかった。
だけど、大丈夫。
待ってる人、出来たので、大丈夫。

いっぱしになるまで10年。
その子は26なので、全然余裕だ。
可愛くて、元気そうな子だった。

大丈夫、私のペースで大丈夫。

演奏家のおじさんに言った。
「ものになってみせます」と。

森田さんにも言った。
「私は、作家になります」と。

追い詰めていけ、自分を。

大丈夫。
私のペースで。
でも、歩かず、走ろう。
とりあえず、走ろう。
中々降りられない舞台の上を私のペースで、小走りに走り出してみよう。

凄く楽しい時間を過ごせました。

見事に、イッセーさんには失恋もさせてもらえて、うひひ、友人と美味しいものでも食べに行こうかと考え出していた私の耳に届く森田社長の一言。
「来年も来る事が決まりましたので、宿題を出しまーーす」と、いう事で、来年もきっと私は参加しているような気がしてなりません。
これって、織姫と彦星ちっく?とかゆうてないで、ズルズルと決着を付けられない感じに、「ああ」と呻きつつ、とりあえず今回購入した本&DVDボックスに「来年」サインしてもらおうと決心。
なぁに、四日間もあるのだ。
何とかなるさと思いながら、自分がまたも機会を逃してそうな予感に今から慄いておきます。
正しい距離感を、どうぞ私に頂戴よ!

という事で、これにてワークショップ期間終了。

「書かずにはおれない」気持ちだったので、とにかく毎日吐き出しました。

私は、当たり前ですが人前で云々するのはやはり苦手なようです。
されども、「門外漢なことをする」というのは、それはそれで本当に楽しい。

ああ、楽しかったぁとキャラキャラしつつ、とりあえず、気持ちを新感線年末カウントダウンへ移行させていこうと思います。
おお、イッセー尾形へ向かっていた恋心よ、朧で粟根に向かう事態になぁれ!と心よりお祈り。
ユッキーからもタイミングよくメールが来ていて、凄くウキウキです。

それまでは、DVDボックスとかを見て、満たされておきたい気持ちー!

メタマクも未だ見れてないので、妹と並んでみて、新感線ラブ!な気持ちになって、僕歩くにて草なぎ剛ラブ!な気持ちになって、そして、また来年、完膚なきまでに破壊されたいと思います。

おお、それまで、さらば、この恋心よ!!