僕の歩く道 最終回

鳶とゆうのは、大層格好いい鳥でした。

冬の海の上をぐうるり、ぐうるり回って飛んで、私は出発前の部屋で、寒いのに窓を開けてじーっと見てた。
そこは、菅島という鳥羽にある離島で、もう、震えるほどに魚の美味しい所でもあった。
昨夜食べた、平目の刺身や、伊勢海老の刺身といったら絶品で、言葉を失うほどだったし、日頃余り食べないおじいちゃんも、母も、ぱくぱくご飯を食べていて、嬉しいなぁと顔が綻んだ。
胸には、おじいちゃんが買ってくれた淡いピンク色の真珠のネックレスを提げていて、それも嬉しいなあと私の顔を綻ばせてくれていた。
この真珠のネックレスに合う服を買って、東京にカウントダウンの新感線を観に行こうって心に決めていて、どんなのがいいのだろう?と悩みながら、鳶を眺め続ける朝。
その旅館の朝ごはんも大層美味しいので、母も、父も、おじいちゃんも、まだ、朝食を食べていて、私だけ先に部屋に戻っていて、出発までの時間を部屋で文庫本を読みながら過ごそうと思っていたのだけども、鳶が「ぴーひょろろ」と笛の鳴るような声で鳴きながら飛ぶ姿を、「風まかせの癖に、自分の思うように飛ぶ鳥だなあ」と感嘆しながら見ていた。
旅館の近くにある林から、もう一羽鳶が飛んできた。
父に後で聞くところによると、昨日の夕方は二羽で同じ林から出てきて飛んでいたらしい。
どうも夫婦のようだ。

一緒に海の上をぐうるり、ぐうるりと飛んで、朝の灰色の海は、ゆうるり、ゆうるりうねっていて、私は勝手に、一羽で飛ぶ鳶に孤独を見出していたのだけども、二匹で飛ぶ姿を眺めて、私は…、


という事で「僕の歩く道」最終回の感想。


日記を書くという事をまた、ぴたりと停めてしまっていたのだけども、毎日書くという事も大事だけども、なんというか私の中に書きたい言葉というのが見つからなくなっていたので、停めていました。

いや、それは、悪い事ではなくて。
えと、今、私は小説を書いていて、凄く悩みながら書いていて、でも、その事でいっぱい、いっぱいというのではなくて、小説を書いているから日記を書けないというのではなくて、純粋に、書きたい言葉が私の中で溢れたら書こうという風に思いました。

何気ない事でも、「書きたい」と思えることと、凄く楽しくて、幸せだったり、重大だったりという事でも「書かなくてもいい」事ってあって、この頃私の中で、それが凄く明確になってきてます。
書きたい事は、書かなくてはもう、いてもたってもいられない位書きたい。
忙しいから書かないのではなくて、本当に我が儘に聞こえるでしょうが「書きたいと思わない」から書かないだけの人間になっていたのです。
だから、書かなくてもいいというか、書かないでも私はすごしていけると思ったら、まぁ、いいのかなぁなんて感じていたり。
勿論、「書く」出来事が、「書かない」出来事よりも私にとって大事だとかそういうのでは、全然なくて、なんといいうか、書かないでも満たされる出来事と、「書く」ことでより満たされる出来事っていうのがあって、この日記はそういう私の自己満足の為にあるのだと、とうとう決定してしまったのでした。
本当に、私による、私の為の、私の日記だ。
パブリックなスペースに、限りなくパーソナルであろうとする文章を書き連ねるという事について、五秒ほど悩んだのですが、悩もうが、悩むまいが別段文章に変化はないので、そのまま放置。
だから、もう、更新頻度については何も言えなくなったというか、いきなり怒涛のように毎日書くかもしれないし、パタッと停まるかもしんないし、そこらへんは、でも、今までどおりなので、改めて言葉にすることでもなかったなぁと思うのでした。

僕の歩く道というドラマは、書きたい話と、書かなくてもいい話が混在していました。
最初のうちは、書かなきゃという気持ちでちゃんと感想を書こうとしていたのですが、「書きたいとは思ってない」のに感想を書いたときなどは、文章がうにゃうにゃしちゃってて、私ってああ、なんて正直者!と思わされたので、うにゃうにゃするなぁと思ったらやめてしまっていました。
そんで、最終回は、「ああ、書きたいなぁ」と思ったので書いてます。

技巧的な事を書いたり、違う視点から眺めた別の真実を見てみたり、何かを言い当てようとしたりするのは、もうやめてしまって、私は輝が笑ってる顔がたくさんあったのでよかったなぁと思いました。
輝は本当に可愛い。
このドラマが終わるのが、心から寂しい。
本当に寂しい。
まるで、私の中に日常のように根付いてしまっていたので、それは何かの習慣が消えてしまうかのような心地がしていて、この喪失感は、ちょっと不思議だ!と驚いていたり。
終わるという事が、こんなに静かで、ささやかで、穏やかで、まるで続くかのように、でも中途半端ではなく明確に終了していくというのも珍しいと思うほどの稀有な最終回。

輝に会えなくなるのが寂しくって、寂しくって、でも彼の歩く道はまだまだ続くのであると、心の中でナレーションを一つ。

輝は自立して、そうやってちゃんとおっさんになってゆくのだなぁと思うと、ちょっと嬉しい。

私は近頃…と今更言うまでもなく、ええ、もう、本当に分かり易いほどに「おっさん好き」で、とうとうおっさんを好きすぎるあまりに友人になどは「私、おっさんになりたい…」と呟くほど、同化願望すら抱き始めていて(ああ、という事は、全ての男は皆「おっさんになりゆくもの」であったり、「おっさんを経たもの」であったり、「おっさん真っ最中」であったりするわけで、もう、心から羨ましいというか、全ての男が全部良い男に見えてくるので、私が男を眺めて憧れの溜息を吐いていてもクリスマス前だし、momiziさん寂しいのねとか、そういう同情はいらないからね!)そんなおっさんに、輝がなっていくのは、本当に素敵なことだと思う。
男は皺が増えてなんぼなのだ。

テアトルイッセーというストリームがあって、そこにはもう、いい加減を絵にしたようなおっさん三人組が「でたとこ勝負三人組」なんつって凄い可愛い事になっているのですが、それを見ていると、本当におっさんに憧れてしまう。
私をお酒を飲む子としか呼ばず、そのまま、既に記憶の彼方に放り投げてしまっているであろうベーシストのおっさんなどは、喋ってる事も例え公開映像の中でもいい加減極まりなく、あああ、とりあえず見た目だけでも、こういう風に気楽な人間になりたいと悔しい思いを味あわせる。
そんな風に、えーと、おっさんが好きな人には強力にお勧めしたいのだけども、そののんべんだらりんさが駄目な人には鬼門になるよという、何がなんだかな宣伝をしつつ、輝の横顔が、どんどん、もう、それは天井知らずな程に美しいものへと化けていっていて、鳶を眺める横顔に、私は必死に孤独の影を探したというのに、やはり、輝は寂しそうでなかった。

一人で、鳶を追っかけて別の道を走っていった輝は、鳶を見上げて何を思っていたのだろう。
風に飛ぶ姿が、輝に促した決心は凄まじいもので、葛藤というものを見せないながらも、あの時、彼は闘っていたような気がする。
何かと、輝は闘って、きっと、あの決意を得たのだ。

私は、黄色いウェアに身を包んだ輝を見た瞬間「ぶはっ」と噴出して、思わず「死亡遊戯だ!」と言ってしまっていたのだけども、私が言うまでもなく、死亡遊戯とは、ブルース・リーの遺作で、黄色と黒のつなぎを着たブルース・リーが出てくるのだけども、この話はもともとは、塔の各階に待ち受けている強敵をブルース・リーが倒しながら頂上を目指すというような話になるはずだったらしい。

初回から最終回までの、第11回。
各1話ごとに、輝は何かと闘い続けていたような気がする。
輝の気持ちは誰にも分からないし、この物語では輝を中心にして周りの人間を描いていたように見えたけども、その実、これは、輝の闘いの記録であったような気がする。
一階、一階、踏み締め、全ての部屋に待ち受ける強敵と向かい合い、そうやって辿り着いた最終話であったような気がしてならないのだ。
輝は、ヌンチャクを振り回すことも、飛び蹴りする事もなかったけども、彼は「変わらない」事できっと、階段を登り続けてきたのだ。
まさに、歩く道である。

あと、他の人の事も色々思ったのだけども、それは書かなくても私の中では満たされたので、もう、書かないことにする。
ただ、皆が幸せになってよかったと思うだけなのです。
河原さんも、幸せになれればいいなと思うばかりなのです。

静かな、ほんとに終わるのがこの上なく寂しいくらい、穏やかで優しい、良いドラマでした。

これで僕シリーズ完結ってことで、また役者クサナギツヨシの新たな道のりを心から楽しみにするばかりである。

おおお、とりあえず、皆様お疲れ様でした!

ところで、剛さん、舞台とか、どうかね? やってみないかね?