知識の話から小林賢太郎さんの話へ

私の、今のお仕事は図面を直す、お仕事です。

なんなの? 唐突に? という書き出しですが、まぁ、とにかく図形とか、設計とか、そういうのに触れると全身に鳥肌が立ち、目が血走り、吐き気、心臓の不規則な乱れ等々が起こる可哀相な脳のmomiziが、それでも毎日ちゃんと図面のお直しを、色々ミスりながらも出来ているのは、上司の方々が注意して見てくれているからで(ていうか、私の所属している部署は、見直しをしないせいでミスが多い事で有名でして、そんな部署に私という最終兵器を投入したのはきっと、「こいつを付けりゃあ、あいつらイヤでも確認するだろうという事情があっての事に違いないと、確信しております)他にも、寸法すら入ってない方眼図に描かれた設計図を、CADでトレースしたりとか、まぁ、それでも設計事務の子っぽい仕事をなんとか出来ているわけです。


部署を異動し、前の上司の下を離れてから、4ヶ月。


本当に楽になりました。
やっと、「楽になりました宣言」を行えるほどには、快適です。
前の部署では、直属の上司とソリは合わないは、気は合わないは、「人間の屑」並みの言われ方をするは、実際余りにもその上司が怖くなってしまって、その人の前に立つと目が霞み、表情が死に、脳がその人の言葉を自動的にシャッツアウツ! そんで、余計に仕事できなくなるという、周りの人間に迷惑を掛けるわ、本当にてんやわんやで、仕事を辞める決心までつけていたのですが(しかも、その後にベトナムに飛ぶつもりだった)まぁ、なんとかなるもんやなぁと今になってしみじみ。

基本は、働いていたい人間なので(そんで、「仕事行きたくね〜。 家で、寝ててぇよぉ」ってゆうのが一番無責任で良いのです)今は、凄く良い感じです。

あの、事態は人それぞれで、その時ね、とにかく自分の為に逃げちゃう!って選択肢もありだし、逆に意地でもその上司に喰らい付いて仕事をこなしてやるっ!っていうのも、まぁ、一つの選択肢で、私は周りの人に助けてもらいまくって、愚痴りまくって、泣きまくって、そうやって今の場所をいただけたのだけども、単純な人間なので「ああ、一番良い選択をしたなぁ」と安心してたり。
とにかく今は、図面の構造と、自分が今何描いてて、それがどういう風に使われるのか位は知りたい(なんて、最低限の情報!!)
今の上司の方々は、みーんないい加減で、優しくて、時々厳しいけど、とにかく有り難いです。
仕事してる時は、当然仕事で頭の中一色になるので、もっと、もっと理解してお役に立てるようになりたいなぁと精進中などと殊勝な事言ってのけた直後に、仕事中に思いついたことを羅列(仕事で頭がいっぱいなのじゃないのか?!)


ええと、此処最近、ここ読んでいただいて分かるように、ラーメンズさんの話題が増えてます。
妹と初めて男の趣味が合ったというか、そういう感じなのですが、ラーメンズさんを見て、その直後にイッセーさんのDVDを見たり、新感線見たり、トんじゃってるSMAP見たり、ごった煮状態で、いまだちゃんと本を読めてないのが心残り。

現在我が家には、ラーメンさんのDVDボックスパート1と、パート2があります。
恐怖です。
戦慄です。
衝撃です。

amazonという、世にも恐ろしいサイトで、頭がモウロクしている時に(ほぼ常に)ぽちっとボタンを押していたみたいで、物々しい二つの「箱」がちょこなんと存在しており、「うぐぐぐ」と呻くしかないのです。
それもこれも、ゆっきー先生のお陰、もしくは責任で、この上ユッキーさんは私にバナナマンさんを教育しようとしています。
絶対に好きになるでしょう。
既に設楽様のことを様付けで呼ぶ私に未来はないのです。
ああ、お笑い。
嵌ってゆくのか私よ!
演劇の手法に近い「コント」をやってる人たちに弱そうなので、絶対にこれ以上は近寄らないようにしたいです。
妹は既に、10枚近くのラーメンさん絵を描き溜めてまして、姉の贔屓目ですが、似てる上に可愛いという凶悪極まりない仕上がりに、登録させていただいているサーパラさんのカテゴリに、アップ後はラーメンさん追加させてもらおうと目論みちう。

ここまで、嵌ったのは単純に可愛らしいからとか、面白いからというだけではなくて、今まで見た事もないものを見せていただいている衝撃が大きいからなのだろうなぁと思っています。

それは、発想の力です。

ラーメンさんは凄く語られているコンビで、しかも、コバケンさんのFANの方は、コバケンさんに厳しい方も多く(それは、愛ゆえにであると同時に、彼のキャラクターの打ち出し方が原因と見られるのだが、それすら目論んで引き起こしている事象に感じられて怖いやら、可愛いやらです。)まぁ、私は、熱烈なファンの方とかの前で語れるほど知らないし、分析や、評論なども行う気はないのですが(だって、怖いもの!)あるレポを読んでいて、その中に「コバケンギャル」というような言葉を見て、「うはぁ!」と喜んでしまいました。 ジャニオタ、スマオタとか、〜〜信者とか、色々FANの呼び方ってあるけれども、コバケンギャルとは! みたいなね! えっと、ナゴムギャルと同じ感覚で受け止めればいいのかしら? 大変可愛い呼び名だと思うのですが、「ギャル」という呼ばれ方が、「〜オタ」とか「〜信者」であるよりも、年齢制限を感じさせ同時に、「モテ」を捨ててない印象や、「ギャル」という言い方故に逆に、知性すら感じさせる印象を私は勝手に受けて、大変一人盛り上がりました。

いいな、コバケンギャル。
格好いい。

んで!
私なんかは、もう、ただただ彼の有する技術と発想に打ちひしがれるしかないのですが、コント脚本に見られるその話の作り方や、展開、有様を見るにつけ「発想」の力というものに凄く驚くのですよ。

単純な言い方をすれば「どうしてそんな事、思いつくの?」の連続。
どうして、そんな世界を作れるの?
どうして、そんな出だしから、最後そんな結末に鮮やかに結ばれていくの?
どうして、そういう風な台詞を、そこで入れられるの?

完璧とかじゃなくて、隙がないとかじゃなくて、とにかく不思議なのですよ。
私からすれば、あの極上の推理小説にも似た心地よい驚きをくれるコントたちが不思議でならない。

さぁ、その発想は何処から出てきた。
その発想の鍵は何処に隠してあるんだ?


んで、私は目の前の味気ない図面に寸法を入れたりしつつ、ポンとそれは驚くような鮮やかさで気付いたのですが、「ああ、そうか、発想の鍵こそ、知識なのだな」ってことだったのです。

知識とは、発想するために必要な鍵であり、材料なのですよ。

はい、これね、当然だなぁってことかもしれないけども、実感として認識できたのはコバケンさんのお陰です。
たくさん物を知っているという事。
それを、ただ、知識として所有するだけでなく発想に転換させていく事。

知らなければ思いつけない事ってたくさんあるけど、知識があるからこそ、辿り着けるアイデアって、人間は、たくさん、たくさん持ってるんじゃないかなって思ってるんです。

算数の式で、虫喰い問題ってあるじゃないですか?

□+1=?

みたいなね。
これは、□の中の数字がなければ、答えは絶対に出せません。

当然、

□+1=5

みたいな問題ならば、「答え」ありきで、式の片割れを探す事も出来ます。

例えば「こういうものを作りたい。 ついては、その為に必要なものは何か」というのを調べる事によって手に入れる事が出来る。
しかし、最初の「こういうものを作りたい」という「発想」は絶対に、「世界には『5』という数字があるらしい。 じゃあ、その5という数字は、何と何の数字を足せば産まれるものなのだろう。 私は『1』という数字は知っている。 これに何か別の数字を足せば『5』にならないだろうか?」という『5』という数字を知っている前提条件、つまり「知識」がないと辿り着けない公式だったりするのです。
そして、「そうだこの前聞いた事のある『4』という数字を足したら、5になりはしないか?」という「発想」を手に入れ、「4+1=5」という答えを見つけ出した後は、「じゃあ、他に5にたどり着く道筋はないだろうか?」と、別の道を発想を模索する事もできる。

もしかしたら、6になるかもしれないし2になっちゃうかもしれない。
でも、それも発想の源になる知識となる。

こう考えていくとね、生きてるっつう事は、堪えられないほどに楽しい事だなぁ!って思うのです。
見聞きするもの、読むもの全てが、「発想」に繋がっていくんですもの。


私は、「わぁ、わぁ、なんて凄い発想何だ! 素晴らしい! こんな事、どう逆立ちしたって思いつけない!」と口をあんぐりしながらも、そこで、このラーメンズさんを知ったという素晴らしい経験を放置してはいけないと思いました。

知識があれば、発想に辿り着ける。
コバケンさんは、多分たっくさんの知識というそれぞれの材料を組み合わせたり、そこから新たな思い付きを咥えたりして、あの世界を作っているのだと思うのです。

ならば、私も、もっと、知識が欲しいなぁと思うのです。
勉強をしたいとかそゆのではないのです。
勉強は嫌いです。
楽しくないから。

でも、知識を得るという事は、知りたいことだけを知っていけばいいというようなスタンスでも良いような気がするのです。
興味を持つことからでも良いし、変な話「他人の話をちゃんと聞く」という事からだって知識は得られる。
別に道順だってないし、ぽーんと驚くべき真実だけ聞いて、その後で「じゃあ、その真実はどうして、そうなっちゃったの?」ってことを探って言ってもいい。
知りたくない事は知らなくても良いし(だって、嫌な気持ちになる情報から素敵な発想が生まれるとは思えないじゃないですか)、それでも知ってしまったら、じゃあ逆にそこから何か発想できないか足掻いてみる(でも、やってみるのも、楽しいかもしれません)

まぁ、好き勝手でいいのです。

今まで通りに生きてくだけじゃない!とゆわれればそうなのですが、なんだろ、この実感があるというのは、ちょっと得してる気持ちにもなるんですよねぇ。
この実感をラーメンズさんがくれたという事に、凄く感謝したいんですよ。
今の仕事も、いずれ私の発想に繋がっていくという確信を持てる。

素晴らしき哉人生などと、私程度の年齢で実感篭めて言うのも胡散臭いのですが、とりあえず、そう言えるための、切れ端のようなものを、掴んだ気がして、私はまた、図面の世界に没頭していったのでした。