世の中に出ると負ける事のほうが多い

余り深く考えてはいなかったのですが、此処最近、草なぎ剛が雑誌等の紙媒体にて述べている言葉に、素直に頷いている事が多くなったような気がします。

私は、偶像崇拝的な気持ちで草なぎ剛という人を好きであった訳で、それはまさしくアイドルファンそのままの、その人の言葉に対して感銘を受けるなどという事は全く想定しない好きになり方であったので、まさか草なぎ剛の言葉すら好きになっていくとは!と、妙な驚きが。

私にとっては、言葉とはかなり重要で書いてある言葉の何もかもを、かなり正面から受け、色々と悩み、その人の性質まで考慮する面倒臭い性質の持ち主だったりするので、この頃の剛の言葉は、本当に心地が良い。
例えば、物事への取り組み方に対して「真剣に〜する」という言い方があるが、受動的な行為ではあるものの、私は、「読む」という行為を本当に真剣に行っているのだなぁと、近頃理解した。
真剣に読んでしまう。
最近、本をさほど読めなくなったのは、子供の頃に比べて、単純に他の事に割く割合が増え、「本を真剣に読む」という精神的負担に耐えきれないのかもしれないと考えてみたり。
そんな訳で、真剣に読む人間というのは、その分自分にとって心地良い文章ばかりを摂取しようとする傾向があり(じゃないと、ダメージが大きいからですね)それは、自分の性質に沿う言葉であったり、また違う性質の言葉であっても私の目を開かせてくれたり、深く納得させてくれるような、まぁ、当たり前の事ではあるものの「好きな文章」ばかりを探すようになってまして、そういう中での、剛の言葉というのは、本当に心地良いし、本当に深く納得させて貰えている。
あの人の、芯の部分での、真っ当さというのは清廉で凛としているので、安心感すら覚えてしまうのです。
なので、昨今の剛の言葉を踏まえての、雑誌での剛の発言を読み返したりするのが、結構好きです。
昔の雑誌でスクラップしてあるやつなんかを、今引っ張り出してきて、ぼへっと読んでることもある。
んで、此処最近の剛の言葉の中で一番ずっと残ってたのが野生時代インタビウでの発言である、今日のタイトルだったのですが!

なんとのう、「アイドル」ちう職業の人というか、もう「スマップ」というような職業の人が言う言葉にしては、余りにもリアルを知っている感じがして、間違いなく成功者の部類に属する人なのにさらっとこういう事を言えてしまうところが好きだなぁと思えたのは、同時に私自身が、負ける事の多いというか、失敗の多い人生だからなのかもしれません。

んで、それはまぁ、「好きだなぁ」というような、そういう気持ちに留まる感情で受け止めていた言葉だったのですが、今日しみじみと実感した出来事があったので書いておこうかと思いましてー。

まぁ、つまりは仕事の話なのです。

お仕事というものは、私なんかが言うまでもなく、道理が通らない事が多々ある。
あー、理不尽だー!と思えども、申し訳ございませんでしたと頭を下げねばならない事なんて、ゴマンとあって、そういうのは頭では理解していたのだけども、今日久方ぶりに、イラっとなってしまった。
私は、多分かなり短気な人間なのですが、それでも本当に久方ぶりの事だったので、何度か深呼吸を必要としてしまった。

とにかく、ほんっとーーーー!!!に些細な事だったんですよう。

私は前にも書いたのですが、テコテコと図面を直すお仕事をやっていて、ある装置の図面を結構急いで仕上げ、納入しないといけない時期が迫っていました。
私は私で、寸法直しやら、色々な部品の付け替え等をさせて貰っていて、その指示というのがですね、直接口頭とか図面を見ながらいただけるのではなく、東京にある本社の方からメール等でくるものですから、そういう意味でも結構慎重になっていて、その中で、こちらの上司に確認をしてもらうと「ちょっとおかしいやんけ?」という部位があったらしく、色々な検討とかを重ねていたのです。
んで、その検討の中で「このまま話し合うだけでも埒があかないので、momiziさん、とりあえず向こうの指示通り、『おかしいまま』図面作図してもらえる? そんで、どんだけおかしいかって向こうに分かってもらうから」とゆわれまして、私は「おかしい、間違ってる図面」を「間違ってる事を証明するために」作図し始めたのです。

んで、まぁ、今日仕上げまして、そんで、やっぱ「おっかしいなぁ?」というような図面が出来上がり、上司に対しても「ここと、ここがおかしくなりました」という風な事を告げて図面を渡したところ「分かった、また後で確認する」とゆわれたのです。

んで、まぁ、その後本社との直接の遣り取りの中で正しい寸法やら何やらが分かったらしくって、そちらに直して欲しいという依頼をいただいたのですが、その際に、私、まぁ、ふぎゃあ!とド叱られまして、「なんだこれはー!」とね、ええ、間違ったまま描いてある図面を指してなんですけどね、言われたわけですよ。
「このままだと明らかにおかしいというのは分かってるだろがー!」と怒られて、思わずきょとんですよ。
きょとんのまま「あい。 せやかて、おかしいままで描いておくんなはれと言われましたもんで」と言ってしまうと、「いやいや、ここに、この部品が設置できるわけないでしょ?」とか「これは、ここと、ことの間にあるもんでしょ? 分かってないの?」とかね、言われて、「ふしゃー!」となってしまって「だから、もう一度言うようですが、私は、このように描けと言われたから描いたまでですし、提出の際に指摘もさせて貰ってますよね? これは、間違ってる事を証明するための図面なんですよね?」と、苛立ちで尖りかけてる声で言わせて貰うと、「うん、それにねー、あ、ここの寸法もおかしい!」とかまぁ、色々言われまくって「だ か ら、書けとゆったのは、お前だ ろ が −−−!!」と咄嗟に心の中に、「吠える一人momiziの会」を、ドリアン助川の如く設立。
もう、何度も何度も同じ遣り取りを繰り返すのは馬鹿らしいですし、何にしろ私に反省心がないというのが、向こうへの怒りに油を注いでいるようで、私はとりあえず、言われたとおりに作図しなおしたい一心で(つまり、今の状況から早く脱出したかったのです)「了解しました。 申し訳ありません。 とりあえず、今回も仰る通りに作図しなおしてきますので」と、それでも最後にそんな事を付け加えてしまう往生際の悪いところを見せたならば、向こうも「今度はきちんと色んな資料と照らし合わせて、注意して書いて下さい!」と反撃。
もう、再び「シャーーー!!」と、吠えつつ図面の紙束抱えて退場ですよ。
したら、直後に本社の方から「momiziさん、〜さんに、図面渡してないよね? 聞いたら貰ってないっていうから、ちゃんとしてよ」というお叱りのTELがきて、「あっれー? おっかしいな、渡したはずなのにな。 今は、私が資料として預かってるけど、確認はしてもらってるのになぁ」と思いつつもってゆけば「や、だから、全部資料として貴方に引き上げてもらってるでしょ? だから、私の手元にはないよ! それも、資料として貴方が必要だと思ったから渡してるんだけど? 必要じゃないの? そんな訳ないよね?」とまたも叱られてぐったり。
それを、ちゃんと本社の人に説明してくれよう…と思いつつ、「何て、話が通じてないんだ!」と苛々して、再び作図に戻った後にですね、プンスカしながらCADをいろうていて(私は、感情が丸出しになるので、さぞや苛立ち空気を発散していて、周りの人からすれば鬱陶しかったとは思うのですが)ふと思い出すのは、ほんの一年弱前はこんな事、本当に頻発していて、もっと理不尽な事とか、道理が通ってない事とか、納得できかねる事をたっくさん言われて、たっくさんさせられてたなぁという事だったりしたのですよ。

そんで、唐突に剛が言っていました本日のタイトルのやうな言葉が思い浮かびまして、やっと実感というか、ああ、こういうことねーと思えてみたり。

この言葉をさぁ、ただ単純に額面どおりに受け止めて「勝ち負けとかって違うと思う…。 世の中そんな単純じゃないよ!」とかいうのは、勿論お門違いで、それはそういう「言葉」で書いてあるというだけで、本質は別にあって、何というか、こう、自分が間違ってないっ!て思えても、頭を下げねばならんこともあるし、謝らねばならん時も、やっぱりあって、働くという事はそういうことが頻発しうる行為である事を自覚しなおさねばならんなぁと思ってみたり。
理不尽は当然なんだと思うておいた方が良いし、理不尽に対して自分がどういうスタンスでいくかを、ちょっと考えておいた方が良いという話でもある。
詫びてもらえる事はないのだ。
例え向こうが間違っていても、立場は向こうの方が上で、相手が客先だったりしたら、もっと無理を言われることもあるし、そういうのをちゃんと、覚悟して、「自分にとってすっきりと解決」出来ることなど、まずないと思っておいたほうがいい。

ただ、私はそこで「しょうがないよ。 世の中こんなもんだよ」なんて諦念出来るほど悟ってもいないので、昼食時に同僚に散々愚痴り、ふしゃーっと作図にがむしゃらに取り組む事で、何とか発散したのですが、その中で考えていたのは、まぁ、本当に今回は些細な事で、ただ久しぶりだったせいでこんなに苛立っていて、つまり、いつもはさほど理不尽に遭遇する事のない恵まれた環境にあるのだなぁということだったり。
今日程度の言われ方でイラっと出来るという事に感謝せねばなぁと頭では考えつつ「課長のはげ! 課長のはげ! あと、口臭がきつい!」と罵詈雑言を心の中で喚き散らし、そいで、とりあえずこの件は私の中で終了。
例えば、些細だなって思える事態に対して、相手にしつこく立ち向かおうとしたり、反論したりするよりは(とはいえ、最低限の事実の説明をしないと、後でそれも『なんで話してくれなかったんだ! 言わない方が悪い!』となるので、一応説明はするのですが、100%絶対、向こうは非を認める事はないので)ある程度でこちらが引いとかないと、体力を消耗するだけだなぁとも思い、同時に私基準で「まぁ、もういいやー」と思える出来事に対してはこだわらないようにしとかないとキリねぇなぁとも思ったり。

こんな事は、もうね、本当によくあることでしょうし、今取り組んでる仕事内容は、同じような事が頻発しそうな状況を呈しているので気にしていられないんですよ、実際問題として。
で、その事態にいちいち、苛々してたり、突っかかっていったりしても、どれだけ正しい事を言おうが「またやってるよ」としか思われなくなるだけで、だったら、ある程度で引く、諦めるという事をしていこうと思ったのです。
どうしてもこだわりたい事や、どうしても譲れない事以外は、無駄に時間を掛けるより負けた方が良いと思うようになったのですね。

ただ、私、本当に人間が出来ていないと言いますか、当たり前ですけど、無抵抗主義とはとおおおおおおおおくかけ離れた星に住む女ですので、どうしても無理!とか、これだけはっ、何とかしてくれっ!という事も結構ありますし、そういう部分に対しては、もうちょっと頑張ってみようとかも思ってたり。
問題の捉え方を一律にするのでなく、自分の中で区別していこうと考えたのです。
個人的に負けてばっかの人生ですが、今の部署に前の部署から異動させて貰った時というのが「絶対に勝たねばならない砦」の時で、敗北の暁には仕事やめる気でいましたし、退職届も提出してありました。
色んな不満も、それまで溜め込んできた理不尽も全部泣きながら吐き出し、上司に訴え、そんで状況を変えてもらえて、本当に良かったなぁって、あすこで、泣きながらでも、私は嫌だ!と訴えてよかったなぁって思ってるのです。
あすこで、私は一番欲しい結果を手に入れるために、それまで我慢してきたんだなぁと思うと、すーっと楽になって、それまでの事も、すっこーんと忘れてしまって(なんにしろ、脳みそがスポンジなもんで)だから、今回もそういう風に考えようと思いました。
つまり、今回ここで引いておく事は、きっとどっかでの貯金になると考えたのです。
何かしらの貯蓄をしたのだと思ったのです。

まぁ、考えてるだけですし、またも同じ事態に遭遇したら、当然のように「はげー! はげー! あほーー!!」と吠えるmomiziの会が始動する事は間違いないのですが、まぁ、姿勢というか、心構えだけは私の中で言語化しといたほうが良いなぁと思い、書き記しておきました。

負け続けてても、まぁ、肝心な時に負けなきゃいいやとも思い、草なぎ剛という人は、まさに、そういうスタンスでいつづけてる人じゃあるまいか?と思ってみたり。
あの人の、良い意味での諦念とか、そういう認識というのは、私自身にも強く訴えかけてくる事があって、いつからそういう風な大人になったのだろう?とか、いつからムキにならない強さを持っていたのだろう?と、興味を持ってみたりするのです。

あ、そういえばの話なのですが、その後、うちの部署の上司というのは、皆、何というか感情的になって私を叱った後は、色々思うこともあるらしく、皆一様に「その後の進み具合は、どんな感じだい〜」と私の席を訪ねてくるのですが、今回もそのパターンにのっとりまして、その時は、お互いかなり冷静だったので、無事仕事も難所を乗り越える事が出来ましたー
しっかし、私の父親もそうですが、こう、「あ、言い過ぎた!」とか思った後って、私のお父さん世代の方々は皆、素直でないのか、照れるのか、そういう風に態度を軟化させて此方の様子を伺いにくるのが、なんともおかしく、まぁ、やっぱ気にしてるだけ損だよねーと思ってみたり。
なんにしろ、気分よく週末を迎えられそうで、よかった、よかったと呑気に考えているのでした。