自慢ですけど、何か?

ある小説書きへの言葉。

私の、これでもか!ってほどの期待に応え続けてくれる小説書きです。基本的にはサービス精神旺盛なエンターテイナーなんだけど私にとっては、どちらかというと魔法使いだ。彼女の描く悪趣味なほど露骨な、およそ理想化ということをしない人物像、日常が、反対に私にはとてもロマンチックに感じられる。世界に魔法がかかるのだ。あるいは、魔法は解かれるのかも知れない。視界が鮮やかになる。不思議な引力を持つ小説世界から私が感じるのは、どなたかが指摘したという彼女のこの世への「憎悪」なんかではなく、その美醜や滑稽さなどものともせず全ての生と生に繋がる行為を慈しむ視線、母親のような深い愛情であり、執着だ。まるでこちらを睨み据えるようで、一瞬で目が離せなくなる…

まぁ、ある小説書きってぇのは、私の事なんですけどねい〜〜(によによによによ)

って事で、私の色んな意味での相方であるユキオさんが、ご自分のブログでこんな風に私の事を褒めてくださってたので、そのまま転載。(勿論無断です。 怒られたら謝ります!!)
メールでお礼を言おうかとも思ったのですが、彼女がブログで第三者にも提示する形で褒めてくれたので、私もブログで第三者にも提示する形でノロけてみようかと、迷惑にも思いまして…。

えーと…、オーケィ、オーケィ。
分ってる。
自分の事を褒めてる文章を、こんな風に自らのブログで紹介だなんて、あんたみっともないよ!なんて思われるのは百も承知さ!
だって、自慢だもの!
上手な自慢は自慢と気付かれない位に自然な代物だけども、下手な自慢ほど癇に障るものはないでしょう?
でも、自慢と気付かれない自慢なんてする側にしてみりゃあ、つまらないものさー!
癇に障ってこその自慢!
どんどん障るよ、貴方の癇にーー!!と奇妙な宣言をかましておいて、大体「みっとも」って何よ?と更に追い討ち。
「みっとも」なんて言葉の意味を私は知らないし、知らないものが、あろうがなかろうがどうでもいいので、私はみっともなんてなくて良い!と強気に宣言しつつ、この文章を読んで、んぎゃー!と大喜びしちゃった私の気持ちも分っておくれよーと、弱気に訴えてみたり。

いやいや、謙遜を知るものならば、ここで一つ涼しい顔を見せて「このようにお褒め頂くような物を書けていないので、ユキオさんはどなたか別の方の文章と間違えて褒めてらっしゃるのかしら?と思うほどの、有り難いお言葉なのですが…」等々書いて見せるのでしょうし、そういう謙遜を私も使用した事はあるのですが、ここはもう、振り切って、日本人特有の恥の文化も振り切って、「この言葉は私以外のものの文章に向けられたものである筈がない」と胸を張ってしまう事にしました。

私以外の誰が、このような言葉を言ってもらう事が出来るってぇんだろう、こん畜生が。
誰にもやらん。
こうやって褒められたのは私です。 えへん。

私は性格が悪いし、人のためになんて一切ならん位そそっかしくて、人間的魅力に大いに欠ける人間なのですが、そういう人間が、こういう言葉を書いてくださることと出会えたっつうのは、大げさでなく奇跡だと思いますねー
これは、もう、ユキオさんが言って下さってるってのも、私にとっては大きいのですっていうか、それが一番大事なのです
どういう言葉を貰うかというよりも、もう、今回に限りむしろそれが私にとっては大事なのです。


例えば、私は、よくユキオさんとお芝居を観に行きます。
彼女は福岡に住んでいて、私は三重で、滅多に会えない人だから、遊ぶ時はほんとに、ほんとに楽しくて、何をしてても楽しくて、別れるときは心底寂しい。

私は、ユキオさんに「置いて行かれる子供のような顔をしている」と言われてしまっていて、実際、彼女と別れて一人ぼっちになった時の私と言ったら、心細さの余り下を向いて、トボトボと歩く姿のBGMに「ドナドナ」なんかを流してもらえばぴったりなんじゃないか?という程の寂しがり方をしている。
一度三重に遊びに来てくれた時も母親に「おかしいんじゃないの?」と言われる位寂しがっていて、齢25になって小学生時代の如く友達とお別れするのが寂しいと言う気持ちを何度も噛み締めさせて貰った。

個人的偏見に満ちたものの言いをすれば「文系ヲタ女の友情はウェッティである」と言い切ってしまいたいのだが、そして私が文系ヲタ女で、しかもウェットな女である事はご承知の通りだが、不精で、大雑把で、目の前の事だけに夢中ですぐそれまでの事や、色々な人の事を忘れて、不義理をしてしまう事の多い私が、それでもユキオさんに対しては、私基準でだが大層マメで、事あるごとに会おう、会おうと努力したり、セッティングしたり、強請ったりして、つまり、私は、そういう友達がいる人生を凄くラッキーだと思ってると言いたいのですよ。

ブラヴォー、幸いなる哉、我が人生は

これ、是非試して欲しいんですけどね?

例えば、誰かと知り合ったり、長く付き合ってる中で、「この人の事、私、大好きなのかしら? どうなのかしら?」と自分でも判断付かない人がいるならば、その人に、自分のコンプレックスを悪し様に言われた時の気分を想像してみてください。
私の場合、コンプレックスが多いもので、幾らでも並べ立てられるのですが、つまりですね、ユキオさんに「あなたは、不細工で、デブで、知能指数も低くて、考えなしで、作家になりたい、なりたたいという割に一向に芽が出ない才能なしで、口ばっかりの、お調子者」と言われたとして、そこまでだったら、凄く悲しい気持ちになるのですけどね、「でも、私はあなたのそういうとこ結構好きよ」と言われたならば、私は「なんだよう」って言って許せて仕舞うのです。

貴方には、そういう人います?

どれだけ自分の弱点を突かれても、最後に「私(俺)は貴方のそういうとこが結構好き」っていう魔法の一言で、全部が許せてしまう人が。
いたら、それは、得がたい人です。
貴方の人生は超ラッキーです。
その人の事、すごおおく大事な人にして下さい。
私も、ずっと付き合いが続けられる事を祈っています。

逆に、その人にとって自分が大事かどうか確かめたい時は、いっぱい悪口言った後最後に「でも、私、あなたのそういうとこ好きよ」って言ってみましょう。
それで、くしゃっと笑って「なんだよう」って許してくれれば、あなたはその人にとって大事な人です。
ただし、自分にとって大事な人が、相手にとって大事な人とは限りませんし、試してみた結果、自分にとってかけがいのない人を失う事になっても、当方責任持てませんので悪しからず〜〜

ま、私は、そんなの試さなくたって、大丈夫だけどね〜〜って事で、結局は、私とユキオさんは相変わらずラブラブですっていうノロケでした〜〜

四捨五入して30になる年で、それでもこういう友達がいてくれるという事は、ほんとに、ほんとに幸せだと思いますねい〜〜♪