昨日の電話

友人より、飼っている犬の胃が癌に侵され、来年の夏までの命であるという連絡を受ける

高校の時に友人が飼い出した犬を初めて紹介して貰った折、一度、小学生の頃、朝の登校中に延々散歩中逃げ出した犬に追い掛け回された経験のせいで、若干犬恐怖症の気があった私は、少し恐怖心を抱きつつ対面したのだが、大型犬種の彼女はひどく穏やかで、優しい性格をしていて、私は一つも怖い思いをする事なく、その体に触れることが出来た

何度か、夏休みの時期など友人の家に泊めてもらったのだが、一緒にTVを見ていた時に、その犬の尻尾をトイレに立つ際にむぎゅりと踏んでしまって、それでも、酷く困ったような、穏やかな目でこちらをじーっと眺めて来た顔や、お腹をなでられるのが好きで、私がこしょこしょと撫で擽った後に、友人との会話に意識を取られ、手を止めると、その腕を何度も自分の足で叩き、続きを催促してきた事等が思い出されて仕方がない
何度も、海に繋がる川の堤防沿いを一緒に散歩した
吼える声も余り聞いた事のない、大きくて賢い、本当に美しく優しい犬だった
会いたいと強請るも、弱った姿を見せたくない…との事で、私もなんとのう、彼女を見たら、どうしようもなくなりそうな気がして断念する

命の傍で生きるという事は、その死に直面する事からは逃れ得ないものだ

どれもこれもひっくるめて「犬を飼う」という事なのだろう

彼女は、家族にとても愛された、人を幸せにし、自分も幸せに生きた子だったので、余り苦しい思いをしないといいな…とそればっかり思う

うちの犬も先日6歳になった
もう、立派な中年親父である
私の大好物な年齢である

私は取り乱すだろうな
凄く取り乱すだろう
そういう時期がくればの話だ
冗談でなく、ずっと生きてれば良いのにと思う
一緒に死ぬくらいが良いと思う

友人は、泣きながらも、余り落ち込まないようにしようと気丈に努めていて、自分はどうなるだろうと怖くなった

辛い

コタの首根っこを捕まえて、ぎゅうぎゅうと締め上げながら「長生きしろよー」と私は言う
コタは、「ぶふー」と鼻息を吐き出して、鬱陶しげに身を捩じらせていた