楽しい事だけ考えたい

職場にて、憤怒。
神経が鈍いのと、臆病者の性質の為、理不尽の最中にいる時は反応できず、ただただ打たれまくるのですが、その後、感情の波に襲われて「もっと、はげろ。 もっと、はげろ。 そして、抜けた毛髪量を、剛に還元セール(特に前髪部分に)(これぞ、恨みと祈り一挙両得呪詛!)(ここ近日中に、つよしの前髪もーはつがいい感じになったら、もりさと復活か、あたいの周囲で一人ハゲが更に進行したおっさんがいると思ってくれてまずマチガイナイヨ!)」と、PCディスプレイを睨み据えながら呪詛。
帰宅後、私なんぞよりも過酷な職場にいる妹にぶちまけ、「それは、酷すぎる。 陥れろ。 そいつに自分の理不尽さを思い知らせろ!!」と吹っかけられて、いや、そこまでは…と尻ごみ。
とはいえ、もっと反撃しても良いと鼓舞され、同じく憤ってくれ、その上で「抜け。 毛を。 許す」のGOサインを頂き、少し楽になる。

綺麗事を言うのなら、「会った事もない人に対して、他者からの話だけで悪意を抱くなんて!」という極真っ当な意見もあるのでしょうが、私は卑小な人間として、目の前で友人なり家族なりが、誰かに対してその話を聞く限りでは、理不尽な仕打ちを受けていると納得できた場合、同じように憤り、話してくれる人間の正当さを肯定し、同調する事によって元気付けたいし、慰めたい人間なので(逆もしかりです)(ていうか、そういう時に、「お前が大人になれ」なんどと説教をくれられても、受け入れる許容スペースなんて私は一切持ちあわせていまてん!)(とりあえず、それは酷いよ!!と言ってしまえる安易な日本人でありたいです!)そういう意味では、本当にふぎー!!と一緒になんて地団駄を踏んでくれる人がいてよかったです。

実際問題、私の与り知らぬ所で起こったミスに対して、ミスを起こした当事者からの八つ当たりの対称になり、己のミスの責任を転嫁され、最終的にフォローも何もかもを「当然」の一言で明日から負わされる身の上になった癖に、ぼんやりとその状況に巻き込まれてしまった自分の鈍足さには呆れるばかりで、人の悪意に対面した時とか、ネガティブ方向へとバイアスがかかっていたり、声を荒げ乱暴な振る舞いを見せる人間に対して、私は防衛本能ともいうべき、降伏状態に陥る事が多々あり、せめて、理不尽に対して「それは困ります」とだけでも言える人間になりたいなぁ…と反省。
だってさー! 身が竦むんだもん! きゅっ!ってなる。
言葉が思い浮かばずに、硬直してしまう。
私が感情過多なのは、放出側としてだけでなく、受け入れ側としても過敏な時が多々あって、褒められたり、素敵なものを見たり、嬉しい感情に際した際に最早祭りといって相違ない程のポジティブ気分になれるのは、幸せな性分だとは思うのですが、負の感情や、悪意、怒りに対しても全力で浴びてしまうので、どうしても引き摺ってしまって、あーあーとうんざり。
とりあえず、楽しい事だけ考えたい!!!ので、今週のスマステと、いいともを思い出してによついてみつつ、感想を書こうとしたのですが、今日はここでタイムアップ
ぎえー!! 仕事の愚痴だけでブログが終わるなんて!!と戦慄きつつも、とりあえず、今日はとっとと寝て明日の地獄に備えようと思います!
地獄はねー、忙しいからって言うより、あの上司のフォローを自分がやってるという事そのものに、いちいち腸が煮えくり返るんだろうなーという精神地獄だから、余計に嫌なのですが、まぁ、働くという事は多々理不尽に見舞われるものなのだ!!と、まぁ、諦念しようと思います

今週末は、なんか美味しいもんを食べよう
あと、面白いDVDでも借りてこよう
そうやって、休みを楽しみにしてとりあえずは、今週を切り抜けてやる!!

とはいえ、呪詛は送り続てやるから、毎朝、自分の枕に抜け落ちている毛の量に絶望を覚えるがいいわ!!(ある意味とても前向きなネガティブ発言)