K2 長文感想(ネタバレあり)

はい、おひさでございます!
もう、この挨拶も常套句過ぎて、書かなくていいかなー?とか思いつつも久々の、芝居感想
長文感想、ちょっくら放流させていただきます
貴重な機会を頂いての観劇だったので、とにかく吐き出したいの一心なのです
勢いのみではありますが、ネタバレしまくってますんで、そこらへんだけお気をつけてください







信州だったか、とにかく、冬。
とても寒い地域で、朝新聞を取りに出て、外で欠伸をしたら喉が凍傷を負ったという話を、何かのエッセイで読んだ事があります
寒いという事が過ぎると、ちょっとした動作も命取りになるのだ…と、その文章を読んでいて感じたのですが、K2、11/13にお友達の手引きによって(大感謝!)、大事なお友達と観てくる事が出来ました!(そのお友達とは、「父帰る/屋上の狂人」で出あったので、またこうして、お芝居を並んで観れる事も、本当に幸せでした)


この日記の更新状況を見て察していただけるように、ちょっとばかり、私の身辺大忙しの波に飲まれていて、日帰りで東京などという慌しい日程となったのですが、やぁやあやぁ、行ってきてよかったー!と、まんまんまんぞく!!(うん、このネタも初使用だよ! おめでとう! momiziさん、初まんぞくだよ!!)
いろいろな人が既に感想等お書きになられてますが、私なりの文章で、感じた事などをつらつらのんべんだらりと書き連ねさせて頂きます
例によって、偏見と私のフィーリングのみで書かれた内容になりますので、知的な言葉や仔細なレポ、緻密な考察などお望みの方は、何一つ、そんな言葉は含まれてないよ☆と事前に開き直させて下さい!
芝居の感じ方なんて、人それぞれでなければ気持ちが悪いですし、正解もないと思いますので、そういうのを理解して読んでいただければと思います





というわけで、感想なんですけど、まずね、私ってば、幕が開いた瞬間に、口が開きっぱになったんです
間抜けそのものの顔をして、目を見開いて舞台を観てた
心底思いました

なんじゃこりゃ って
私、新感線って劇団のファンなんですけど、これも人それぞれ感じ方、意見があって然るべきなのですが、近年の公演において、映像が多用されるようになっていて、場面転換における暗転を避けるための映像使用やセットと組み合わせての映像のみならず、映像だけで舞台上の時間が長時間経過する事に対して疑問を抱いていたんですよ
私は映画を観に来たんじゃないのにな〜って

でもね、私、良い意味において「これ、映画?!」って瞬きを繰り返した
舞台の上下を黒い帯のようにあえて隠し、横型長方形に見せる事で、あたかも舞台が地上より遥か頂の場所に観客の目を錯覚させると共に、まるでスクリーンの向こう側の世界のように完全に別世界の話なのだと感じさせてくれるその設え。
映画じゃないの?!て瞬きを繰り返した
舞台の奥にも雪山風景
二人がいる山棚にも白い雪がつもり、真っ青な空は、遠く、高く、何処までも際限などないのだという風に舞台の背景に広がっている
目を眇めたんです
見開いた後で、まるで、眩しいものを眺めるように

目が射られる心地がした
あまりに、鮮やかで、あまりに明るかったから

真っ青な空
真っ白な世界
冬の青空に、私は目を眇め、さぞかしあの場所は空気が澄んでいるのだろうと確信できました
空気を吸い込めば鼻腔を冷気の刃が切りつけるような、そんな世界
極限の、あの場所は、綺麗な、綺麗な地獄でした

本当に舞台の上が別世界にあった
圧倒的で、技巧的で、無限の広がりを思わせる、とんでもないセット
私、あんなセット見たことないです
金かかってるとか、派手とか、大仕掛け!とか、そういうのとは、また、別の次元にある、とてつもない、その光景

そして、そのセットこそが、この舞台において、何よりも重要である事が作品を眺めていくにつれ如実に理解できました



主人公は二人の男
ハロルドと、テイラー

私の抱いていた先入観は一つだけ
ハロルドは思索家であり、テイラーは傲慢な男

これだけが、私の二人のキャラクターに対して得ていた事前情報でした

だから、そういう意味では最初から裏切られた

必死だったんですテイラーが
生きる事に対して

そして、ハロルドは諦念していた
生きる事を
ただ、生かす事に必死だった

つまり、あの極限状態で、あの厳しい世界で、あの自然を前にして、それでも人間が自分の命と他人の命を守りきれると思う事
生き残るという決意
厳しい雪山で、命を永らえるという事で自然に対して勝利者として、その名前を残す事

その事こそがある種「傲慢」の証であるのだと、テイラーの傲慢さは、生存本能として表現されているのだと私は気付き愕然としました
私もきっとテイラーのように在るだろうと思ったからです

親友と、あのような危機に直面したならば、状況を把握しようとせず、命が何よりも大事だと、お前も、私も生きるのだと駄々を捏ねるように足掻いたからだと思うのです
それは、ある種普遍の価値観
絶対の約束でもあると思っていました
命が何より大事だという観念

だけど、同時に非常に人間主義的な思想だとも思うのです
この世界において人間が何よりも優先されるべき種族であるという思想は、そういう意味では確かに傲慢なのかもしれません
少なくとも自然に生きる野生動物はそうではない

蜜蜂が自分達の巣を脅かすスズメバチに立ち向かう蜂玉となった際、仲間の発する高熱によって深層部の勇敢な蜂が命を落とすように、群れが襲われた際、足の遅い仲間が犠牲となる事で群れ全体を守るように、産卵を終えた後間もなく息絶える生物が多々あるように、野生の生物は種の保存の為、他者を生かすためにしばしば己の命を自ら犠牲にする


それが野生の摂理なのでしょう


だから、ハロルドは人の力など通じようもない大自然の中において、自分の命を犠牲にする事でテイラーを救おうとし、傲慢なテイラーは、自然に抗い勝者たろうとした

私は、そこにも衝撃を受けました
何と優しい傲慢さであろうと

子供のようにテイラーは頭を振ります

いやだと
やだやだやだと

お前をここに置いていったら、俺はこの先地獄だと
置いていく者になれといわれて、まるで置いていかれるもののように、一人は嫌だと地団太を踏むのです

彼は、彼自身の傲慢さに従って、ハロルドと共に在る事を望みます
理屈はありません
状況判断能力もありません
このままでは二人で死ぬ事になるのだという実感も得ていなかったように思います。

彼の望みは、ただ一つ
「ハロルド」と山を下りる事

寒くて痛くて辛い状況の中で、その場所から脱する事の出来る可能性に縋るより、ただ、「本当の友達」であるハロルドと共に在る事を望むのです

寂しいという事は 孤独だという事は 只一人、自分の魂を預けられる大事な存在を失うという事は、寒くて痛くて辛いことよりもずっとずっと、テイラーにとってはしんどい事なのだと思いました
その時出来る最良の手段を講じて、ハロルドを救おうとしていたテイラー

その傲慢さは、私が事前に想定していた傲慢の定義からはあまりに掛け離れていて、ただ、何と優しい、何と切ない、何と健気な…と胸を突かれてしまったのです


優しい傲慢さは極限の状況において残酷さに至ります


ハロルドは知っていました
自分の死を
抗う事の虚しさを
ここで足掻けば足掻くほど、テイラーの寿命の火が弱々しく変じていく事を悟り、ハロルドは懇願するように手を変え言葉を変え、下りろと、ここから一人で山を下りろと、生きてくれと説得します

そうやって、懸命に自分の命を諦めてくれないテイラーに翻意を促すハロルドの気持ちを考えると筆舌に尽くしがたいような心地を覚えます

例えるならば、子供と別れる親の気持ちに酷似していたのではないでしょうか?
実際、二人の会話は、丁々発止といって良いやりとりや、厳しい言葉のぶつけ合いを経ながらも、労わり合い、支え合う空気が濃厚に漂うものでありましたし、気持ちが不安定に上下するテイラーの保護者めいた言動を後半ハロルドは多々見せていて、一人では生きていけぬと泣くテイラーに、「俺の家族に俺の言葉を伝えるために降りてくれ」と告げるハロルドは、まさに断腸の思いでその言葉を搾り出していたんじゃないかと思うんです

ハロルドが口にした、家族という言葉が、まるで、鋭い刃のように、私には聞こえたのです

ハロルドがテイラーに、自分を置き去りにしていくテイラーに残された家族に最期のメッセージを伝えるという、何より酷な使命を負わせる事で、とうとうテイラーの気持ちを変える流れは、観ている人間にしても、鼓膜を掻き毟られるように辛かった

孤独なテイラーに、完全に独りぼっちになったテイラーに、自分が愛してやまない、そして自分を愛してやまない家族と対面させるんです

それは、罰でしょう
傲慢さの罰でしょう
自分を置き去りにした罰でしょう
何より辛い罰でしょう

ハロルドは、最後の最後、絞り出す声で頼むのです

家族に愛してるよと伝えて欲しいと

勝手な思惑です
私の妄想です
脚本家の意図や役者の意図と違う可能性を踏まえて、それでも、ハロルドはそんな役目をテイラーに負わせる気はなかったんだろうと私は思っています
自分の家族に、自分の言葉を伝える、そんな辛い思い、させたくなかったって思いたいんです

罰が必要だった
テイラーには
山を下りるならば、その後自分に降りかかる厳しい罰が必要不可欠だった
テイラーは、生きるために、罰を欲していた
火で炙ったか如き灼熱の十字架を
何よりも辛い罰を ハロルドを置き去りにする自分を肯定するために
だから、ハロルドの家族への使命を負わされて、漸く納得した

「分かった」と


そのやり取りに私が見出したのは、極限の状況において浮き彫りになる、人間の業の深さ
憎みあい、醜くいがみ合う事よりも遥かに、この物語は切なく、途方もない因業を思わせます
自分の命を守るために、相手を陥れあう姿とは正反対の、だけど、これは、ある種の二人の熾烈な争いなのだと思いました
あの自然の中で、人間であり続けたテイラーと、野生の摂理に従ったハロルド

獣のようにといいます
浅ましい姿を人が見せたとき、獣のようにと表現します

獣のようにハロルドはテイラーを想ったのです

生きて欲しいと


野性に従う為に人の言語を手段として行使したのです

そして、最後の最後
血を吐く思いで、与えたくもない罰をテイラーに与えたのです


どうぞ、救われますようにと祈りながら


置いてくんじゃなくて、置いていかれる側なのに、罵って怒らせようとしたり、たくさんの言葉を重ねたり、涙ぐましい位、胸詰まる位、まるで雪の如く積もる、たくさんのハロルドの言葉
下品な会話も、哲学も
祈りのように思い出されます
ハロルドの言葉は祈りだったように思えてならないのです

獣のような祈り


まぁ、しかし、つらつらと思い入れめいた自分の思索に観劇後没入できる程、完璧な世界でございました


前述したようにセットが、見苦しいところの一つもない完璧さであるという事が素晴らしかったし、何処までも続いてそうな広い世界を舞台の上に表現していながら、同時に二人の動ける範囲が極限られていつ事も、より絶望感を高めた

そう絶望

まず、どうしようもない状況であるという現実を観客に思う存分思い知らせる必要性が何より重要な舞台だと思うんです

このK2って

だって、例えばセットがしょぼかったら…二人の芝居があれ程鬼気迫るものでなかったら…、舞台の緊張感が足りなかったら…誰が、あの芝居に命の危機を見出す事が出来たでしょう?

誰が極限を肌に感じる事が出来たでしょう?

ありていに言えば、あの芝居は「テイラーがハロルドを置き去り」にするまでの物語なんです
「親友同士の間柄にある二人が、魂の片割れを、雪山に残して下山する」、その究極の結論に至るまでの葛藤と、二人の生死をかけた遣り取りを見せる為の芝居なんです
つまり、二人が如何に絶体絶命の状況に在るかという事に説得力がなければ、この物語の根底から瓦解してしまう

絶望を前提にした芝居

これ程自由に広がる世界にありながら、何処までも続いていそうな広大な景色の中で、何処にもいけない二人の姿をじっと眺め続けるその時間中、ある種の密室において、刻一刻と絶望的になっていく、その息苦しさに私は圧倒され続けました

だって、世界はこんなに美しいのに
この二人は、こんなに美しく、相手の命を何とか永らえようと想い合っているのに、残酷な結末しか用意されていない

美しい地獄だと、やっぱり思ったのです


二人芝居や、三人芝居で、場面転換のない一幕芝居なら、私も何度か観た事があります
密室劇も、洞窟に閉じ込められたり、屋敷の地下室に監禁されたりと、様々なパターンがこれまでありました

しかし、まぁ、山岳芝居

それほど観劇経験豊富とは言えない私ですが(観劇が趣味じゃない人以上、観劇狂いの人以下位だと思います)それでも、こんな芝居、他にはないだろうな…と勝手に断言してしまいます(あったらごめんなさい)
こんな広がりのある空間なのに、密室なんていう、相反した有様は新鮮すぎて想像の他過ぎて、いやいや、感嘆しまくりました
絶望の表現の中でも、舞台の上で見せるものとしては、かなり屈折してるように思います

だから、もう、何度でも書くよー!
しつこく書くよー!!

とにかくセットが素晴らしかった
素晴らしすぎた


映画のようで、舞台でしかありえない、ナマであんなものを観させて頂けた悦びに、とにかく感謝の念を抱くしかないんです

その上、やっと、とうとう、漸く役者に言及したいのですが、ほんと、剛も堤先輩も大変素晴らしかった

私は観劇した日に、元締めとみずほ姐様に劇場で遭遇できたのですが(向こうにしてみると、まさに遭遇!としか言いようのない勢いだったと思います。 だって、嬉かったんだもーーん!)私が観た日は堤先輩のがノリノリだったみたいで、成る程、確かにテイラーよりもハロルドの方が積極的に、そして包括的にテイラーに下山を促し、コミニケーションに意欲的だったように見えて、流石…と唸らされつつ、同時に若干押され気味であったテイラーからは、今の状況に対して自分がどう行動すればいいのか理解出来てない戸惑いやおぼつかなさが如実に感じられたように思います
だからね、うん、こういう風に書いていると「じゃあ、別の日の二人はどうだったの?」みたいなね…もっと観たい!!っていうね…あはは、うふふ…欲望に影が真っ白になる位苛まれるんですが…(だって、この舞台ほど別日と比較しての観想を書きたくなる舞台も珍しいと思うんっすよ! 多分二人の心境や、間、呼吸の速度一つで、全然違った様相を見せるんだろうな…って思うと、じたじたすんよ?! もう、ごろごろなるよ?!)ないもの強請りは大人なので我慢して(唇を噛み過ぎて、血を流しつつ)まずは剛の感想を書くと、うううう…ファンとして言う…ファンとして言うよ…


テイラー かわいい


ってなった(笑顔で)


特にやだやだやだ!!のトコは、もおおおおお、切ないのと、泣けるのと、可愛いという気持ちが入り混じって泣きながら萌えるという人間の自我が崩壊しそうな状況になったつうの!
お前らも極限だろうが劇場で私も極限になったつうの!!
酸素くれっつうの!!!!!

あと、面白い話しろよって強請る声も良かったな
強がるようで、嘲笑うようで、からかうようで、縋るような声

言葉が二人を繋ぐ何よりも強いザイルだったと思うあの状況で、テイラーはハロルドを放すつもりがない自分の意思を表明する為にハロルドの言葉を強請り続けていたように思います
でも、そう考えると益々皮肉な状況というか、ハロルドは言葉を武器にテイラーの翻意を促し、テイラーは言葉を欲する事でハロルドの命を諦めないでいる自分を示し続けたという、二人の攻防は、すれ違い、ぶつかり合いながら、渦を巻くように核心へと近づいていっていて、なる程、その緊迫感も、私にこれ程息を飲ませたのだな…と大納得

二人芝居って、やっぱり会話が肝になるとは思うんですけど、二人の声のトーンや会話の内容の変移から心情を窺い知る事が出来たつもりになれている私の今の心情を思うと、やっぱり、それだけ巧みだったんだよなぁ、二人が…と感嘆するのです

剛は、複雑な感情を、物凄く単純に表現してくれていて、そこがまず素晴らしかった
舞台の表現に準じていてくれたような気がするんです
同時に自分の立場を弁えていた
それはテイラーとしての立場でもあり、堤真一という舞台において第一線に立ち続ける稀有な表現者の胸を借りるという立場をも含んだ意味での芝居だったように思います
ぷっすまみたいでもあるなーって思ったんです
上手に囲って、上手に泳がせてもらってるの
んで剛も、囲いを飛び越えないように、あの絶妙なバランスと緊張感に満ちた世界で泳いでるの

だからね、


絶望を根幹とした舞台


だのに、剛の事を思うと、舞台の帰りの新幹線で私はニコニコが止まらなくなりました
顔面崩壊

そうさ、きもいよ?

だって、超 超 超 幸せだと思ったんです

絶頂でしょう、幸せの
客の私もですけど、何より剛が幸せすぎて、いえーい! ぴーす、ぴーす!!ってなってる五歳児が瞼の裏に浮かびました

超可愛い
んで、超嬉しい
剛が超嬉しくって、嬉しくないファンはいない

よかったねーって、ほんとお祝い気分にもなるってもんです

あいつ、絶対言ってんぜ?
また、やりたいって 堤さんと、お芝居やりたいって強請ってんぜ?

五歳児だもん
際限ないぜ?

「次はねー! 次はねー! こういうのやりたい!」ってキャラキャラはしゃぐ声が、もう私の耳には聞こえてんだぜ?(多分私なんぞよりも、明確にそのビジョンを浮かべているだろう人が何人か私の脳裏をよぎってますしね…)

んで、結局剛の芝居ってどうだったの?って事を、ちゃんと書きたいとは思うのですが、私個人の性格として、役者の力量とか、良し悪しについて、どうも語るのが苦手っていうのがありまして(語彙が乏しいせいもあって、表現しきれなかったり、言及する事におこがましさを覚えたり、そもそも把握できなかったりするんです)だから、演技者剛について、評価する、しないというような、そんな文章は書けません

だけど、自信たっぷりに虚勢を張り、軽口を叩き、ハロルドの言葉を欲する事で状況を直視せず、足掻き続ける姿から、徐々にひび割れ、漏れ出ていた心情が、絶望が、悔しさが、寂しさが、全身から鉄砲水のように噴出し、迸る瞬間のテイラーが味わう挫折感と、絶望を私は目の当たりにし、打たれる事が出来ました
目の当たりにしたと思えました
そして、彼のこれからを、彼のこれまでを、今もずっと思いを巡らせて考え続けています

私に残した剛演じるテイラーの爪痕は、こんな感じです
だから、やっぱり、素晴らしい役者さんなのだと思います
贔屓目じゃないよ、と言い張りたい位には


今まで、思い通りに生きて、他人に頼らず、縋らず、愛のない交わりを繰り返し、誰にも心を許す事のなかったテイラー
他の人間と、ああいう状況になったなら、私は容赦なく見捨てるんじゃないだろうか?とも剛の演じ方を観ていて思いました
つまり、ハロルドがテイラーにとって「特別な存在である」という事を過不足なく表現してくれていたように思うのです

朝日を眺めながらハロルドを揺り起こすテイラー
戻って来い、一人にするな!と叫ぶテイラー
ハロルドの為に、ハロルドの架した罪を償う為に降りるテイラー

その全てにテイラーは懸命で必死に見えた
テイラーは、全身全霊でハロルドをしっかりと掴んでいようとしていた
ハロルドの諦念を厭うた

全ての動機は、ハロルドにあって、だから、他の人間と命を預けあう事をしない人間であろう…と思いながらも、他の人間相手なら、ハロルドのいる下界へと何を犠牲にしても戻ろうとしていたように思うのです
テイラーの最大の不幸は、遭難自体等ではなく(実際、夜明けに命があった事を喜び、現実から目を背けようとしてかもしれませんが、自分を待ち受けている名誉に酔い痴れている描写もありましたから、遭難自体を最大の困難だとは思ってないような気がしたのです。 そこが傲慢な男ならではだと思うのですが)「テイラーと遭難した事」だったと思います
他の人間相手なら、いや、自分だけであったなら、或いは、もう少し強くあれたのかもしれません

一人ぼっちの方が、もしかしたら、強くあれたのかもしれません

テイラーは、だから、それほど弱い人間ではないのだろうなぁ…とも感じました
キャラクターって、演出家と役者の解釈に委ねられると思うんですけど、厳しい山に挑み、エリートと呼ばれる街道を歩んできたテイラーを、私は剛から見出し、そして、その自分勝手ともいえる幼い位の前向きさに、剛の解釈を勝手に感じ取りました
陳腐な言葉ですが役を生きていたと思います
テイラーとして存在していたと思います

多分、まだまだ、何もかも言い足りてないのですが、剛についてはこの位にしておいて、堤先輩についても、少しだけ言及

うううう、いやあああ、すっげええええ!!!とはなったけーどねー!!
だけど、うん…えへへ、ちょっと悔しいというか、なんというか、うん、新感線の堤さんを何度も拝見してるのですが、全く質の違う舞台であり、ジャンルも違うと認識しているし、役者の力量が何より浮き彫りになる二人芝居ならではの感想になるんで、別段、悪意も、他意もないよ!!と宣言するだけしておいて、うん…堤先輩の事、こんなに凄い役者だと思い知らされたのは、今回が初めてでした…と、小声で呟きます

く、くく、悔しい!!
なんなのあんた!
ちょっと、その繊細な表現とか、あたいに見せてくれた事ないじゃないのよさ!
もしくは、節穴だったっていうの?!
私、目が節穴だったっていうの?!

うん…ごめんなさい…(素直に謝る)

違うんだ! 新感線は、主演を、役者を「格好良く見せる」劇団ではあるんだ!!
男をヒーローにしてくれる事に掛けちゃあ、他の追随を許さないって、momizi調べで出ているんだ!(ソース自分)
でも、ほら! 歌舞伎と一緒で、「型」に嵌めて芝居させっから、殺陣すげー!とか、超かっけー!とか、痺れるー!とかの感情を喚起させる事に長けていてもね、ここまでがっぷり、役者の凄みや心情表現の巧みさを魅せて貰える芝居を打つ事はないから…っていうか、繊細な表現されても、次々と現れる個性の濃いキャラクター集団にその余韻を掻き乱されて、目が向かないから…しょうがないんだよね…と、現在、本当に大変な事になってる愛する劇団を庇いつつ(劇場で、元締め&みずほ姐さまに食らった第一声も「じゅんさん大変だね!」「大丈夫なの?」というお言葉でした…。 世田パブで、剛の舞台前に、鋼鉄番長と新感線の話題で泣きそうになる女! それがmomizi!! 今、じゅんさんの名前は、momiziの涙腺を自動的に刺激する効果があるぞ!)堤先輩って、すんごい人なんだな…と、思い知らされました

父性が滲んだ穏やかな優しい声
テイラーを怒らせようと挑発する声
そして、沈黙
会話と会話の間に挟みこむ 間


動けない役なんです
声が肝の役なんです

御見それいたしましたと頭を下げずにいられようか
別段侮っていたわけでは勿論ございませんが、それにしても、予想外な程にとしか言いようがありませんでした
多分、私が知っている堤先輩が、凄く攻めの役が多かったからだというのもあるんです
やっとう姿が付き物の、動く芝居ばかりを見てきたからというのもあるんです
だから、こういうお芝居を見せていただけた、その事自体に感動しているのかもしれません(まぁ、だから、如何に私の堤真一情報が新感線に偏っているかという、そういう話だな! うん、だから、ごめんって言ってるじゃないか…!)

本当に繊細で、包むような、受けの芝居

テイラーの言動や挙動に応えて返し、導く様の安定感と、磐石感、それでいて、決して退屈に至らない緩急のつけ方等々、巧みに舞台の空気を支配する姿に感嘆するばかりで、こういう二人芝居に、剛という相方を招き(シスカンパニー所属だし、舞台の先輩だしって事も踏まえて、一応、こういう表現をさせて下さい)受けの芝居に徹するという、ある種の賭け行為めいた事に挑戦してのけるだけあるなぁと感じました

ていうか、ほんと、声の芝居が素晴らしかった
特に、一人になってからの、ハロルドが直面した恐怖と、混乱と、今まで見せなかった人間らしい全てが溢れ出てくる独白がとてつもなかった

ああ、とてつもなかった

テイラーは山を下りるのだ
自分は、ここで死ぬのだ

寒い、寒い場所で

テイラーの命を救うことに全てを賭けていたハロルドが、彼が視界から消えたことで唐突に直面する真実

それこそ、全身を凍傷に蝕まれて、テイラーがいる事によって何とか保っていた糸がぷつんときれたハロルドにとって、一人ぼっちになった時に訪れる静けさや、自分に掛けられる言葉の一切ない孤独な世界は、恐怖以外のなにものでもなかったような気がします

ハロルドは怖がっていたんです
正しく

ザイルを落す瞬間、喉が痛くて、溢れ出そうになる嗚咽を堪えてじっと舞台を睨みつけてました

縄の落ちていく音が、さようならって、聞こえたんです
生に別れを告げて、家族に別れを告げて、テイラーに別れを告げて、それからの、ハロルドが自分の喉から溢れさせた言葉達は、聞き入るしかない、慟哭としかいいようのない、言葉の奔流でした

愛してるって、ありったけの想いを籠めて告げた声

震えて、震えて、真っ白な世界に閉じ込められていく、その姿に涙が止まらなくなりました

最期の瞬間、ハロルドの瞼に、一番愛しくて、一番美しいものが浮かんでいたらいいなと、夢見がちに祈ります



そんな訳で、結論としては、大変素晴らしかったです!で、ほんと全部を締めくくりたい!
いい加減感想が長すぎるって気付いてない訳じゃない!!


セットも、演出も何もかも素敵でした
千葉さんは、役者としては二度ほど拝見させて頂いていて(IZOと、蛮幽鬼です。 蛮幽鬼の惜春は、本当に素晴らしかった。 救いようがなくて物凄く大好きなキャラです)演出家としては、初めて作品は意見させていただくわけですが、セットや、仕掛けが充分凝っている分(アイスクライミングしていたテイラーが、岩棚に縄でひゅるんと下りてきたり、ザイルで宙吊りになったり…というのは、素直に驚きました)凄く誠実に、役者にある程度任せて演出されているように見えて、K2という舞台と、あの主演二人には凄く合っていたように思います。

山岳舞台ならではの、アイスクライミングシーンも、よくぞ、舞台で!と思わせてくれましたし、本当に過不足なく、マイナス点としてあげるところも、何一つ見当たらないほど、完成されたお芝居でした

ほんと、悪いとこなんか、一個もないやー!

たった一回ではありますが、素晴らしい舞台見せていただけた事、K2に関わる全ての人に感謝したいです!っとお礼を述べつつ、超久々の芝居感想を終えさせてください

ここまでのお付き合いありがとう御座いましたー!

さぁて、次は鋼鉄番長!

おぽんちなのに、カーテンコールで号泣してくんよー!(今から宣言)