クラウド感想

久々の長文演劇感想ー!ってことで、先日見てきた青山円形劇場にての、CLOUDの感想を、そろそろ〜っと、放出させていただきます!

長いです!
超長いです!!

ネタバレまくってます!
千秋楽を迎えた芝居なれど、どうも再演の匂いがぷんぷんしてますので、今回見逃したけど、次回は観よう!と思っていらっしゃる方は、御注意ください!

あと、毎回の事なれど、私個人の偏見・思考によって書かれた、極々個人的主観による感想です
自分の感想と違って当然!という気持ちでお読みいただけると、大変嬉しいです

上記の事踏まえずに読まれて、不快な思いをされましても、当方は一切責任を負いません


あー、しかし、ほんと、久々に感想書けて、凄く嬉しいなぁ!

東京で、今回美味しいものをたくさん食べたので、そういう話も、また、書けたらなーと思ってます

ではでは、興味のある方だけ、続きをどうぞー




私は、スズカツを知りません。
スズカツさんが作・演出として自ユニットで旺盛に活動してた時期のお仕事は目撃出来ていませんし、演出の仕事も昨年、ファントムを一度観劇した程度で、だから「スズカツらしい」「らしくない」といった判断は一切出来ません
本当にまっさらな、何もわからない、前作…というより、まぁ、関連のある公演というべき「LYNX」も未見の状態で、CLOUDを見て、いやあああ、おーもしろかったーと、しみじみ噛み締めている状態です
懐かしむべき記憶、期待すべき事柄、求めてしまう「らしさ」がないというのもいいものだなぁと思いつつ、青山円形の「超ちけぇ!」な距離で、あの痺れるような、電気を神経に流されっぱなしになるような芝居を見ていると、「当然だけど、芝居っていいなぁ」なんて、包括的な結論にまで至ってしまいそうになったのです

ほんと、刺激的だった
芝居の醍醐味というものを喉を鳴らして飲み干せた

寂寥 荒廃 枯渇 孤独 

感じた空気はあまりにも乾き、肌触りは冷涼としていて、それなのに電気がバチバチはじけるみたいに痛くって、今まで芝居で感じた事のない新鮮な痛みに、私は狂喜しました
感触の簡素な舞台上で5人の男の人たちが、声、体を使って見せる芝居というのが、本当に正しく私の思う芝居の形をしていて、青山円形という特殊な舞台であった事もあいまって、「あー、良いお芝居を見た」という充実感と刺激物を間近でたっぷり摂取した興奮で、今完全にハイな気分に陥らされています
鹿殺しの「僕を愛ちて」も、この「クラウド」も、ほんと粟根さんに感謝しかない
素晴らしい舞台に引き合わせてくれてありがとうございます
こんな舞台は観たことない
観た事ないのに、「ああ、これぞ芝居だ!」と思わされる
凄く平たく言えば、感動したんです私
アー、面白かったー!って
ほんとに、ただ、感動したんです

あと、私、今までそんなに本数見てないながらも「四方囲み」(円形といってもいいのだけど)芝居で、こんなに巧みな円形用の演出をなされている舞台に遭遇した事がなくて、そういう意味でも「スズカツ〜〜!」と唸らされっぱなしでした
私は三回見て、驚くべきことに、そのうち二回、しかも昼・夜公演で、昼が13番なら、夜が同じブロックの14番みたいな、ほとんど同じ場所に昼夜同じ人間が(最悪なことに最前)いる!みたいな、勝手に超個人的に気まず悲しい状況に陥いっており、私の足元にふよふよ飛んでくるキップル?(もしくはクラウドを模した、透明ポリ袋入りの白い風船たちを)達を開演前はいじけながら蹴り返していたりしたのですが!
それでも、これはどの方向から見ても、どの場面場面も、ポスカードに出来るほどに美しいだろうと確信したり
完璧なんです
天井から地面をつなぐように、真ん中に走る黒いコード線
そこをはさんでシンメトリーに座ったり、近づいたり、離れたり、走ったりする人物たち
こんなに、どの瞬間も美しいなんて!と、思い出すと、一枚の絵としてポストカードのように成立するんです(そう、あの、アドリブシーンですら!いや…爆笑笑い止らず状態だったので、ものすごい自信を持って断言できるわけではないんですけど。 エグザイルとか、楽日には四人エグザイルになって、全員が通路に!みたいな事態になってたので、もう、何がなんだかなんですけど)
畜生!全方向から見たかったよ私は!
とにかく、この舞台を作った人間の感性にビリビリと痺れるばかりで、私は基本泥臭く暑苦しく、ノーセンスだけど汗の匂いは凄いよ?!みたいな、努力・根性・勢い!みたいな芝居が大好きな癖に、そんな好みすら軽がると捻じ伏せられてしまっていました

過剰大好き!
派手であれば、派手であるほど大満足!
ロックや、大規模なセット、下品上等! 洗練なんて洒落臭いやい!な私だったのに…
関西味付けの笑いが大好きな私だったのに…

ううう、私…悔しい…とか、ハンカチ噛みつつ、両手をあげて降参

そもそも!
スタッフワークとか、音響とか! 新感線っこなんでセットが、照明が〜とか、素人丸出しに語ったりして「ふふ、私って、お芝居大好きっぽい!」とか悦にいってた癖に、何も思い浮かばないもの!
それらが素晴らしかったわけじゃなくて、全く考慮の範疇にない芝居だったから、もう、とにかく「役者ってすんげぇなぁ」って唸るしかないもの!

何もない
セットらしきものも、殆ど皆無
暗転は、何度か入っちゃうし(私は、暗転大嫌いです。 暗転があった時点で「えー」て萎える人です)音楽チョイスも、私は大好きだったけど、私でもわかるような「日本人が好きな、有名洋ロック」って感じだし、音入れの仕方は音量含めて脳みそに直接注がれるみたいに素敵だったけど、もっと凄い音の使い方をする芝居だって見たことはある

でも、凄かった
演技って、芝居って…やっぱりなんて、面白い! 素晴らしい! って、役者を堪能させて貰えた
役者が作る流れに乗るだけ
剥き出しの役者の魂に目で触れるだけ
怒涛のように空間を埋める言葉に圧倒されるだけ
動き、表情を変え、飛び、たたずみ、嘆き、脅し、円形劇場に五人のかっこいい、最高にクレイジーなおっさん達がただ、表現していく物語を、芝居を、光景を享受するだけの、正しい、正当な、芝居の楽しみ方をさせて貰って貰えて、今は私は幸福と切なさでいっぱいになっているのです
青と灰色の入り混じるシンプル極まりない世界に満たされまくりました


うん、まぁ、だからあれだな!
私、全然何にも知らないんだな!
そんで、世の中には私の知らない面白い芝居がたくさん、たくさんあるんだな!
超実感!!!
もう、超実感です!!
そんで、私は新しい世界を見せられて、ほんと、子供みたいにはしゃいでます

まぁ、では、とりあえず、役者感想
ていうか、役者に対する感想が全てじゃね?
だって、そういうお芝居だもの!

せっかくなので、アイウエオ順でいきます

アマリ

ヨタロウさんは、音楽のお仕事はともかく、お芝居はキレイ(初・再)のDVDでしか拝見した事ないのですが、アイコン的キャラクターというか、「クラウド」そのものを体現してるような、ネットワーク空間にしか存在しない仮想人格を、ぴったしはまって演じていらっしゃって、多分ご本人自身の浮世離れ感が滅茶苦茶功を奏してたように思いますって、これってLYNX観てる人とか、スズカツさんのお芝居をたくさん見てる人には口はぼったい感想なのかしら?
いや、しらんもん!
いちいち言いたいもん!と、ダダをこねつつ、キレイの神様もそうだけど、ほんと現実感のない人だなーと、派手な見た目とあいまって、目の前で動いてても近くにいる事を感じられなかったり
衣装もよかったよー
妖しくて、なんか、信用ならなくて(笑)
詐欺師っぽいけど、宗教家と言われても納得出来るような、胡散臭さを体現したような、パンクそのものな存在
哲学を、軽妙に語る姿が似合いすぎて、歌うように高い声で、オガワを翻弄する姿は、狂言回しのピエロめいた存在にも見えました
なんか、足音とか覚えてないの
してたかどうかすら
音楽を暗転時、場面転換時にのみ使う芝居で、無音が支配してる時間が長かったから、覚えててしかるべきなのに、やっぱり記憶にない
私のつま先にぶつかっていた風船をひょいととりあげる時の感触すら、実在とは思えなくて、0と1とで構成されてるんじゃない?なんて幻惑されるぐらい
そんで、これ、登場人物全員の共通ワードなんだけど、かわいいんです
可愛いんですよ
愛すべき、道化
基本的に、アマリとしては、オガワとの共演シーンしかないのですがアナーキーインザUKの音楽にあわせて、エアーで歌ってみせるとことか、「おお、本業!」と思わせるようなパフォーマンスで凄くかっこよかったです
つなぎ姿のおじいちゃん時も好きだなー!
しょぼくれてて、いかにもいそうで…
あのブツブツ言うとことか、刑事二人に囲まれた時の卑小で、卑屈な印象が、アマリとして登場した時に、全く別の空気に変じる鮮やかさも、観てて気持ちよく、面白かったです
彼の語る言葉が「真理」か「ペテン」か?
それは、私には分からないのですが(何故なら彼の正体が、この物語において、もっとも悪意的狂気であったからです)こういう人の言葉に踊らされる人の気持ちはよく分かりました
なんか、ヨタさんの口から語られる言葉は、理解したふりをして受容し続けないと、自分が間抜けになったような気持ちにさせられる力がある
オガワと一緒に、天から降るような言葉に踊らされて、酩酊できて、本当に楽しかったです



イタバシ

スズカツさんには、約束を守ってもらったと思っています

怖気を奮うような狂気を
反吐の出るような悪意を
凝視せずにはいられない醜悪な病気を

私は、目撃させて貰いました

今でも歯の根が合わなくなる
あんまりにも、嬉しくて

あの狂気を、粟根さんが演じていた

まるで、粟根さんの形をした空洞の人形に真っ黒な水を流し込んだみたいな
艶のない真っ暗な目をして、顔だけ笑って、奥歯の上にオガワを乗せて「いつでもきみをすりつぶせるんだよ?」と脅しているような
全く、理解不能の、動機のない、気持ちの悪い狂気

主に、ウサミとのコンビシーンが多く、おやっさんと呼ばれる事に抵抗心を示し、独り身で、異常な知識量を誇り、理屈っぽく、神経質で、怠惰で、SFが好きで、一般人には高圧的で、後輩とは良いコンビの、癖のある刑事
刑事ドラマにだって出てきそうな、なんか、そういう、人がね?
たくさん観客を笑わせて、後輩とのやりとりで脱力したり、コミカルな動きしたり汗だくになって踊ったり、日替わり小話披露したり、オガワの頭をぺしぺし、三回も! いや、四回か? とにかく、あえて中の人の仕事で表現するとプロジェクトXのナレの人の頭を叩くまくって、叱りつけたりした挙句よ?(その瞬間、意味なく私の脳内に地上の星が流れたよ ほんとに意味がないよ)
酷いとしか表現しようのないような、狂気で舞台中を覆い尽くして、ファンなので、もう、これは、ああ、これは、観れてよかった、本当によかったって、とりあえず観劇後膝を震わせながら、神様仏様スズカツ様に感謝しまくったわけにございます
この人のファンでよかったなぁって心から思ったのです

観たかったんです
ずっと
観せてもらえたんです
やっと

観た事ないんです
あんな粟根さんをっていうより、あんな狂気を

滔々と、淡々と、日常のように、全く何の不可思議もないようにそれまでの正気が狂気に塗りつぶされていく

私は、あのエンドウが一人、食事メニュウを読み上げるところから、イタバシがエンドウを殺害するにいたるまでのシーンの流れ、すべてが本当に過不足なく完璧だと思っていて、あの一連に、観客を観劇後も捉えて離さない「余韻」が生まれているような気がして、自分の呼吸音すら煩わしくなる位、視線を聴覚を、五感を唯々研ぎ澄ませました
ただの、自分の思考すら放棄した、舞台から発せられる信号を受け取るためのアンテナになっているような、舞台に征服される感覚
舞台上でイタバシと、オガワの会話にあった「言葉を視覚的要素」として捉える「音と視界」が一体化感覚を実感できるような興奮と緊張
目に入る役者の表情と音が一体化していって、神経が高ぶって、瞳孔が開いていくような、あの異常な感情は滅多に味わえる代物ではないと確信しています

悪魔みたいに笑うんです
イタバシが

顔を全部歪めて、哄笑交じりの声で
嘲る声で滔々と高慢に並べられる悪意を言語化したような言葉達は、あの独特の声とあいまって、オガワが鼓膜ごとイタバシに壊されていく様を目の当たりにしているようで、本当に怖かったです

何を欲していたのか?とか、理由は?って問いかけに「動機がなければいけないのか?」と、あの声で押し潰す
両手を広げて、オガワを圧するように、酷い速さで近づいていく様は、大鴉めいていて、ポーではないのですが「NEVER MORE!」(もう、二度と!)と、今にも喚き出しそうで、聴覚的要素にこだわったとスズカツさんが仰っていた通り、粟根さんの声の要素と、トモロヲさんの声の要素が、これ以上ない程的確に効力を発したシーンだよな…と思い返すだけで、また、びりびりと神経が痺れる音がするのです。

殺すシーンも、本当に、怖くて、静かで、激しくて、でも、なんて、美しいんだろう…と思いました。
円形ホールの壁に、放射状に影が映って、二人の影が重なって、黙りこくったまま、音の洪水の中、殺人者も、殺される者も、静かに儀式のように、額をくっつけて、温度を奪い合うように…

帰りの新幹線の中で、考えたんです
イタバシの温度は高かったのかな?
低かったのかな?って…
あんな風に人を静かに、激しく、乱暴に、殺してしまう人間の温度は高くても低くても怖いな… 怖かったなあ…って
本当に、怖かった

綺麗で

昔、握手した時の手の温度は、その後駆け出して、踞って泣く程に優しかったのになあ

エンドウの肩口に、顔を押し付けて引き金を引いた時、私は、その瞬間の、イタバシの顔を見たかったとも思い、見えなくて良かったとも思っていて、あの、寒気を、怯えを、興奮を一生忘れないだろうとも思っているのです

芝居を観て、この場面を一生忘れないだろうって思える僥倖を私は享受できたのです

しかし、とんでもない振り幅の役だったなぁ!
それも、地続きなの!
物凄い振り幅なのに、けして、前半イタバシと、後半イタバシに乖離はないの

「まるで人が変わったように」じゃない

全く同じ人間が、社会的存在として日常生活を送れる、巡査長の、警察という公的機関に勤務する一般的な、普通の顔をした市民が、違和感なく、狂人であるという、薄ら寒さ!

本当に凄い役でした
全て、どの出番も感嘆するほどに、凄かった

私の中に、物凄い電流を流してくれた役だった



本当に、スズカツさんは約束を守ってくれたと思います



ウサミ


めっちゃめちゃ巧いやんけ…(白目)

というわけで、山岸門人さん
うん、この人「僕を愛ちて」ではハタケ(文字通り、シャ乱Qのハタケのコピーな人です)という、どう飲み込んで良いのか分からない役をなさっていたのですが、今回、ベテラン俳優達を向こうに回して、全くヒケを取らない芝居っぷりを見せてくれて、イワエツゥンナイを演じて、客を魅了しまくった花組の谷山さんに、さりげなく「オバマン大統領」という、うん、やっぱり名称だけで飲み込み難さ100点満点な役を兼任させていた時にも、「意味が分からない!」と頭を抱えたのですが、今回「なんで、こんなに芝居できる人に、ハタケよ?!」と、鹿殺しに対して完全に目玉が裏返りました
声優のお仕事をされたりもしてるだけあって、声も、本当に良くて(ていうか、美声さん大集合!って位クラウドは役者の声が良すぎた。 私も舞台は声!派なので、本当にそれも嬉しかったです)イタバシとのコンビは、スズカツさんが「師弟コンビ」と評するのも納得の相性の良さを発揮してたと思います

事なかれ主義で、軽薄で、今時の、でも、普通の若者
将来にうだうだしたり、適当に仕事をこなしたり、この五人の中で、唯一「普通」の立ち位置にある役だと思ったのですが、本当に「あー、いるなー こういう人」って心から感じました

あと、やっぱ、ウサミといえば!なアドリブシーン
イタバシとの日替わりねたとか、日替わりねたとするには、とてつもなく長い、あの応酬に、やっぱ役者って特殊能力者よなぁと確信すれども、いや、逆にあれほどの長時間、舞台上で日替わりでネタを、自然な会話として喋って客を沸かせるとか、出来る人限られてね?と思ってみたり
粟根さんも、朧の森に棲む鬼の時は、日替わりネタ、途中で小須田さんにマル投げという憂き目を見たのに、今回、超凄くって、二人の喋ってるとこ、本当に面白くて、情けなくて、滑稽で可愛くて、毎回おなかが痛くなる位笑わせて貰いました
刑事手当ては一日520円が判明してからの、報酬の安さの嘆きネタもよかったなぁ

私が見たのは、NASA編と、ハブ編、あとマグロ編だったのですが、この時のイタバシの反応も、驚き顔とか、声とかほんっと面白くて、声と表情、仕草が、全部最高で、やーやーやー、クラウドでこんな爆笑するとか思ってなかったのに!と予想外の僥倖を得られた気がします
山岸さんは、凄いトンチが効いてる人だよなー
千秋楽の「貯金は6万です!」から、「それは、貯金じゃない! 残高だ!」な会話とか、もう、涙が出るくらい笑ったもん
定期預金を知らないウサミと、懇切丁寧に定期預金について教えるイタバシとか、もう、意味わかんなかったもん!

あと、あの、アドリブダンスも、おっもしろかったー!
粟根さんも新感線所属だけあって、身体能力高いけど、山岸さんの動きの綺麗なこと!!!
ぐるぐる回ってるのとか、マジバレリーナ並だったし、おー!の歓声起きまくってて、自分が何を見に来てるのか見失いそうになったり
通路でのエグザイルとか、千秋楽までは、ウサミとエンドウ二人での披露だったけど、千秋楽は四人で見せてくれて、いい年こいたおっさん達が、ひゃーひゃーはしゃいでる姿が心底大好きでした
ウサミさん、一人で腹筋だの、なんだのインナーマッスル鍛える運動させられて、そんな姿をニヤニヤと「若いからねー」「もうちょっと見てましょう」とかって、並んで腕組んで見てる、粟根&田口さんに、「しどい! 演劇界の年功序列怖い!」とかぶるぶるなったのですが、ひぎーって、ほんと死ぬんじゃね?位、毎公演汗みずくになっていた、山岸さんの、心からのブラボーを送りたいと思います。

ほんと、ウサミも可愛かったー!!!



エンドウ

鈴木浩介さんは、「恋に落ちたら」の時から凄く好きな俳優さんで、ライアーゲームでのハイテンションで奇態なキャラが印象に残っていたのですが、トレードマークのめがねを外し(これは、粟根さんにも言える事ですが、外した方が、印象として怖いものを感じました)緩急をつけた芝居と、繊細極まりない表情の変化に、完全に心を掌握されました

つううか、もう、この舞台は巧くないと立てたもんじゃないし、正直巧くない役者を金払って観たくねぇよっていうのが、マジ本音なのですが、私が想像し得る「巧い役者ばかり」という状況を遥かに越えた奇跡的なまでのバランスで五人の役者が存在していて、鈴木さんは、その五人の中でも、特に感情の変遷が多い難役を、完璧な解釈で演じられていたように思います

前半の、オガワとの会話、交流、笑顔や、朗らかさと、時々見せる謎めいた言動、オガワに対する並々ならぬ執着、後半になって明らかになる正体、言動、望み、焦燥、全てが、どうしようもない切なさを纏っていて、人は、ここまで切なさを体現できるのかと、慄くような気持ちにさせられました

そもそも、この舞台の根幹にあるのは、対話です

殆どが一対一の、人数が多くなっても、せいぜい二対一の言葉が、沈黙が、舞台を作り上げていく
他に何もないシンプルさが、役者の個性を際立たせ、鈴木さんの、満面の笑みも、好奇心に輝く瞳も、呆然と佇む虚ろな表情も、怖い声で「嘘だ!」と喚き、オガワに詰め寄り、両手で捕まえる姿も、泣きそうに歪む、寄る辺のない迷子の子供のような顔も、全部一瞬たりとも零れ落ちる事無く、観客の記憶に刻み付けられる

他に見るべきものを作らないという事で、役者にこれ以上ない程集中できる環境の中、そして、円形と三列しかない、役者の些細な表情の変化を見逃さずにいれる客席から見たからこそに、とりわけエンドウは生きたキャラクターだったようにも思います

私は、エンドウが大声でオガワのライフログを読み上げる所で必ず泣いてしまって、ヒステリックな声で叫ぶような声に打たれて、膝を抱えて蹲る姿に、奥歯が痛くなる位の切なさを覚えて、銃を突きつけられた時の凍りついた表情も、「劇的」という言葉がこれ以上相応しい場面もない位の銃撃場面にも、全部に心臓が止まる心地がして、そうやって、散々精神を昂ぶらせた挙句、「引き金を引いてくれて嬉しかった」と、「友情の証に、撃ち殺すんだそうです」と「ありがとう」と泣きながら、ぼろっぼろと涙を零しながら言われた日には、涙腺なんて完全崩壊するしかないわけですよ、くぬ野郎

「愛していたから、仕方がなかったんです」っていう独白とか、私はやけに耳に残って、「ああ、それは仕方ないな」って、どんどん存在が希薄になっていく妻を殺してしまった理由を「愛していたから」と述べる事自体に「仕方がないな」と、納得を覚え、何度も反芻するくらい好きな台詞になったのですが、ほんと、エンドウの台詞は、凄く良くて、鈴木さんの声のトーンも相まって、耳に残るものが多いです
後半において、その、胸を打ち抜く殺傷能力の高さは、途方もなくて、また、死の寸前におけるオガワとのやりとりなんて、本当にただ、ただ「悲しみ」そのものであったように思います

例えばもっと、具体的で、綿密な経過や、キャラクター同士の関係性を深めた上で、分り易く悲しみのお膳立てを整えて見せる悲劇もあるのでしょうが、アマリが語っていたように、究極の悲しみは「死」である事を示し、「愛する友人の死」という、シンプルな、しんしんと染み渡るような悲しさを、エンドウとオガワの台詞、表情だけで見せてもらい、圧倒された事は、舞台というリアルタイムで眺められる作品だからこそ出来た経験だと、心底、この舞台を作った全ての方々に感謝しています


あー、しかし、エンドウは素敵だったなー

鈴木さん、スタイルめっちゃくちゃいいし、顔も舞台栄えする格好良さだし、声も、勿論いいし、本当に素敵でした…(ぽや〜ん)



では、最後にオガワ

うん、まぁ、生で田口トモロヲを見る時点である程度の予測は立ってましたけど、やぁやぁ、化け物でございました
ええ、当然のように
そうでないと、むしろ不自然なように

私、邦画好きなんで、田口さん、物凄い本数の映画に出てる人なんで、そりゃあ、何度も、何度も、何度も、お姿コレまで拝見してて、映画俳優イメージ強い人だったんで、舞台ではどういう風でいらっしゃるのだろう?と思ったら、全く、変わらないんですよ
いえ、あの、役作りに対して、ものっすごい異常なこだわり方をする人だとは存じてますので、芝居が一辺倒とか、そんなわけでは勿論なくて、映像用と舞台用とか、そういう風に芝居を変えるてるわけでもないのに、一番最適な解釈をして、お芝居なさってるというか、役そのものにしか見えないというか…
映像畑の人が、舞台に立つと、迫力が足りなかったり声が届かなかったり、逆に舞台役者さんがテレビに出ると、存在感が浮いていたり、やけに大仰だったりって事は多々あるんですけど、田口さんにおいては、全くそういう事もなく、舞台用も、映像用も芝居に垣根なく、最早、芝居であるのかどうかすらも、判然としないようなリアルさ具合で、この人がある種のカリスマ的存在である、その理由を如実に思い知らされました。
憑依とかじゃなくて、田口さんそのものが、オガワとして存在しているような、その位役と御自身が一致してらっしゃるように見えて、役と御本人が=で結ばれているようにしか見えなかったのです

うん、それって、物凄い事なんですけどね?

まぁ、今回、五人が五人とも、完全にアテ書かれていて、その中でも特にイタバシと、オガワは「本人のキャラクターを土台にしている」役柄なので、さもありなん…とも言えるのかもしれませんが、それにしたって、前半出ていたチック症状が、後半になるにつれて少しずつ収まっていくところとか、身振り、手振り、対人スキルが低そうな口調、他人の様子を一切伺わない姿勢等、登場して即座に、そのキャラクター性を観客に浸透させる説得力が流石だなぁと唸らされました

生で田口トモロヲの芝居を、しかも、間近で観れた!って事、そのものも、物凄く貴重で幸せな体験だったように思います。


『いい人ですよ。やさしい人です。
邪念は、あることはあるんだろうけども、
嫌いでしょうね、きっと。』

これ、みうらさんが、ほぼ日の糸井さんとの対談において、田口さんを評して言った言葉なんですけど、オガワの人物造詣そのものでもありますよね。

純粋で、少年のままで、優しくて、繊細で…

私は、SFを読みませんし、映画の「ブレードランナー」すら見た事のない身の上なので、「ディック的」なるものが、一体如何なるものなのかは、よく分りません
ただ、オガワの、ひいては、田口さんの持つ、一種独特の浮遊感、とりとめのなさを指して、そういっているのならば、年老いたオガワというのは、田口さんにしか出来ない役なんだなぁと、確信せずにはおれない心境です

あとさ、あとさ、清潔感も!
色々えげつない事やって、エキセントリックとか、過激とか言われるパフォーマンスも、芝居もやってきて、エロ漫画描いてた過去もあるんだけど、異常な位、田口さんは清潔感があって、色っぽくて、それにもべっくりしました
衣装の白シャツ姿も、助長させてると思うんだけど、禁欲的な色っぽさもあるんだおね…
DDに耽ってる時の姿は、ばちかぶりとか、ガガーリンでのライブパフォーマンスがこんな感じなのかすら?っていう、印象を受けたのですが(実際、大人パンクとかの動画を見ると、クラウドの時の大人しげで、気弱げな様子とは一転した、如何にもファンク・パンク!な姿と声をしてました)普段の姿のギャップも鮮やかで、それでいて「如何にもオガワらしく」って、ほんと、何もかも、どの瞬間も、オガワは本当に魅力的な存在でした
最後の、ボロボロと、鼻水も涙も零しながら、必死にエンドウを救おうとする姿も健気で、私はイタバシに対して引き金を引いた瞬間に、なんて、無垢で、必死な友情をエンドウに抱いているのだろう!と、慄いたのですが(だからこそ、エンドウの「引き金を引いてくれて嬉しかった」という台詞が、余計に切なくなるわけで)エンドウから渡された銃を受け取った時の表情なんて、言葉にしようのない位の、悲しい、悲しい顔をしていて、思い出すだけで、胸が痛くなるような心地がします
オガワは、田口さんの完璧な役作りの果てに出現した存在であるからだとは、思うのですが、どうしても、今も、あのゴミ袋を被り「キップル」となってしまった姿、そのままに、何処か、悲しい場所で、佇み続けているような気がしてならないです





という事で、個人感想はここまでにとどめておいて、最後に、少しだけ芝居全体について書きたいのですが、本当に、これほど書きたくなる位に、私にとっては素晴らしい舞台だったなぁと、そればっかりで、やっぱり今回も巧く言葉に出来ません

長々と文章にしても、本質には絶対触れないまま、ぐるぐるとその周りを走っているようなもどかしさも覚えているのですが、多分、そのもどかしさが、クラウドという芝居の余韻として正しいものであるような気もするのです


キップル

取るに足らない不要なもの


最後、オガワはゴミ袋を被り、座り込んだまま微動だにしなくなりました

キップル

誰にも必要とされない存在になったから


彼を必要としていたのは
彼を特別に想っていたのは
世界中で「イタバシ」と「エンドウ」だけでした



エンドウは言いました


誰かは、別の誰かのコピーで、特別なんて、誰にもないって

オガワも言いました

自分が特別でない事を自覚していると

ネットワークを通じて、交流を結び、顔も見えない相手に、心の全てを打ち明ける
通販で、全てを賄い、自分の家から一歩も出ずに、実際に生活できる昨今


本当の孤独を
悲しみを
究極の一人ぼっちを、二人の死によって、オガワは計らずも手に入れることが出来たのでしょう

アマリは、いえ、イタバシは、オガワが泣かないのは、悲しみを知らないのは、誰も愛してないからだと言いました

イタバシも、知らない人だったと思います
愛情も 悲しみも

これも、本人とリンクさせてしまって申し訳ないのですが、粟根さん自身が純情オセロのパンフにて「誰も愛さないし、誰にも愛されたくない」と宣言しているように、そして、観客皆が涙するような舞台を見ても、一切の涙を見せなかったように、きっと、然程泣かない人なのでは?と推測しています

そういう意味では、オガワと、イタバシ、エンドウは、よく似た人間だったのかもしれません
イタバシは、嫌悪の口調で、「病原菌」と、オガワと、エンドウを評しましたが、むしろ「同属嫌悪」の感情で、そう嘲ったのかもと考えています

誰もが、誰かのコピーであるように
あの三人は、まるで、コピー&ペーストによって、量産された同人格のような、三人だったのかもしれません
イタバシも、もしかして、オガワのライフログを、盗み読みし、自分と余りにも同じ人生を送っていたが為に、オガワに執着するようになったのかも…

そう考え込み出すと、本当に、出口のない思考の迷路に陥りそうになるのですが、そうやって謎を追い続けることによって、クラウドの世界に浸り続けていられる事は、私にとってこの上ない幸せだったりもします

膨大な他人のライフログの海を彷徨いながら「キップルだらけ」と他人の人生を一刀両断したエンドウ

でも、エンドウから見た、キップルが、他の誰かにとっては、特別な人生であるように、全ての人間は、誰かにとっては「キップル」で、また、別の誰かにとっては掛け替えのない大切な存在なのです

オガワは、完全な一人ぼっちになってしまったオガワは、そうやって、自分を特別に想ってくれていた二人を失って、「人間なんていらない」といっていたオガワは、悲しさの只中においていかれて、本当に可哀想で、悲しくて、そして、どうしようもなく愛しくて、私は、いつも、あの、一人で座る姿を思い出す度に、傍に駆け寄って、抱きしめてしまいたくなるのです



さて、そんなこんなで、ひさびさに長々書いた芝居感想

需要とか一切考えずに好き勝手、書きたいように書いたのですが、本当に楽しかったです

んで、あの作品、公式HPに通ってると分るのですが、どうにも、こうにも、再演への意欲がスズカツさんにもあるようで、ほんと、心からお願いします!と、今祈り倒していたり
関西公演の可能性も、あったり、なかったりするようですし、粟根さんファンで観てない方は是非!、そうでなくても、芝居が好き〜という人には、心からお勧めとかしちゃおうと思います


少なくとも、今回、私は人生において初めて、舞台鑑賞を趣味としてない友人を誘ってクラウドを観たのですが、やーやーやー、生の芝居って、私もそうでしたけど、カルチャーショックを受けるものだし、同時に、青山円形最前列で、ベテラン中のベテラン揃いの芝居を観たというのは、衝撃だったらしく、今、私も「え? 夢じゃないの、これ?」って位、ドはまりしてくれています
正直、彼女と芝居を観ている間中、緊張しまくってて、演劇チケットって決して安いものじゃないし、ある程度の時間も拘束してしまうものだから、大丈夫かな? 大丈夫かな?ってドキドキしたのですが、芝居後「面白かった!!」って興奮気味に語られた時は、多分一生忘れないだろうな〜って位、私は嬉しかったです
彼女と喋っていても、それまで、別の共通の趣味で会話が盛り上がる相手だったのですが、今や、殆どクラウドの話題ばかりで、出演者の一人一人に対する愛情も深く、「生の芝居って、改めてすげぇなぁ」と実感
誘ってよかった!という結果を得られてますので、少しでも興味持たれ方はお願いしますー!とか、回し者の如くの台詞を最後に、感想はこれにて!


あー、ひっさびさに書けて楽しかったー!!!!